チマチマ記

長野まゆみ

1540円(税込)

美味しいものとゆったりした時間

藤野千夜

 本書の語り手は、猫だ。

 チマキ、という名前で呼ばれている。飼い主の小巻おかあさんは翻訳業のかたわら、雑貨店のフリーペーパーにコラムを連載している。そのタイトル「コマコマ記」にならって、チマキも「チマチマ記」を書く、というのが本書の体なのだけれど、語り手が猫といえば、もちろんまず思い出すのは漱石の猫だろう。

 チマキもちょうど文庫で読んでいるところだとさらり明かしているが、とはいえ、皮肉な観察に才を見せる「吾輩」の猫とは違って、チマキの一人称は「ぼく」。周囲に愛されながら、肯定的に世の中を見ているのを感じさせる。弟のノリマキという最強の愛されキャラを引き連れているのも大きいだろう。このノリマキの仕種は、とにかく可愛らしい。うつぶせになって、両手両足を伸ばして寝ている。いっぺんに机のうえまでジャンプできないから、踏み台とイスをつたってくる。ふたのないティーポットによじのぼって、なかに落ち、底にぴったりハマってまるくなっている……等々。わざとでしょ、それ、絶対わざとだよね、と言いたくなる愛くるしさ。そんな弟を見守り、気にかけるお兄ちゃんも、もちろん立派で可愛らしいのは間違いない。

 兄弟は揃ってもとの飼い主とはぐれ、放浪生活の末、今の小巻おかあさんと暮らすようになったのだけれど、そういった経緯も決して悲惨ではなく、ひとつの冒険として語られる。その幸福感は、作中ずっと裏切られることがない。それは本書のまず大きな美点だろう。

 人間関係についても同じように言える。

 小巻おかあさんの住む宝来家の、人のつながりはかなりややこしい。ご主人はすでに他界しており、彼と先妻とのあいだの息子が当主をつとめるが、今は単身赴任中。洋風の古い建物には、おかあさんと実子(息子)のカガミさん、当主の妹、もうじき小学五年になる当主の娘(小巻おかあさんとの関係は、一応祖母と孫)が暮らしているけれど、当主の奥さんは、事実婚、かつパリを拠点に活動中でいない。

 離れには先妻のアトリエがあり、その二階を人に貸してもいる。間借り人はカガミさんの学校時代の先輩で、じつは当主の事実婚の相手の弟。さらにカガミさんはその先輩のことを同性ながら好いており、それをまわりの女たちはみんなで見守り、母屋には猫たちと先妻には見える幽霊らしき老紳士も出没し……でもとりあえずは、そのややこしさを誰も苦にしているふうはない。といったやわらかな塩梅が、読んでいて妙に心地よい。

 原稿を取りに訪れる雑貨店の女性や、近所にある農園の奥さんと子供たち、カガミさんが男子校で一緒だった「女友だち」(見た目は男子)など、出入りするのも、気のいい人たちばかりだ。「ふつうの男の人(プライドばかり高くて、気の小さい)」の入り込まない世間話は、カロリーのことばかり気にしているようだけれど、やはりどこまでも楽しく、真っ当な意見と思いやり、発見にも満ちあふれている。

「チマチマ記」には、小巻おかあさんの「コマコマ記」もときどき引用される。たとえば、つくしんぼをたくさん摘んで来たとき、どうすれば美味しくいただけるか。

《煮びたしにして、とき玉子をいれたのがいい。半熟になったら、鳥や葉っぱをさらっと描いた北欧風の、厚ぼったくて軽いお皿にごはんを平らに盛りつけて、そこに、玉子をくずさないようにふんわりのせる。ほら、きれい》

 翻訳家のこだわりある、素敵な生活が窺えるようだけれど、そのくせ実生活では、おかあさんはほとんど家事をしない、できない、というのが「チマチマ記」には明かされていて微笑ましい。かわりに家事をこなしているのは息子のカガミさんで、就職が決まらないのを家族じゅうに喜ばれたという彼が宝来家のまかないを引き受け、こだわりのテクニックを披露してくれるおかげで、小巻おかあさんの「コマコマ記」は書かれるし、「チマチマ記」にも素敵な献立が並ぶことになる。

 Early SpringからMidwinterまで、全部で八つの時季、八つの章に分かれた本書は、コース料理のテーブルみたいに、各章の冒頭にメニューが紹介される。朝ごはん、昼ごはん、飲茶パーティ、ピクニック等、読者はそれぞれの時季、それぞれのシチュエーションに宝来家と、ゆかりの人たちがどんな食事をしたかを堪能する。チマキとノリマキはだいたい台所か、廊下の突き当たりの小食堂にいるから、誰が訪れ、またはどこへ出かけ(そういうときは連れて行ってもらう)、なにを作り、どんなお皿に盛りつけ、どんな会話をし、どんなふうに食べたかを、こと細かに教えてくれる。

 出来事といえば、じつは見事にそれだけ、ともいえる全八章が、とてつもなく面白いことに感激する。チマチマしたことの積み重ねとは、なんて愛しいのだろう、とあらためて思う。ゆったりとメニュー通りに出される料理がどれも美味しそうを通り越して、文だけですでに絶品の味わい、始終たまらなくなるのはもちろんのこと、実際に作ろうと企んで附箋を貼った箇所がいくつもある。

 そういえば大変個人的なことなのだけれど、たまたま私にも、男子校出身の「女友だち」というような人がいて、もう二十数年も前になるのか、「すごくいい本を見つけましたよ」とその友人が(同い年で、長い付き合いなのに丁寧語で)紹介してくれたのが、他でもない、長野まゆみさんのデビュー作『少年アリス』だった。あれはその友人宅をもう一人、女友だちと訪れたおりだったか。手土産にした天津甘栗を、料理上手な友人が鶏肉と一緒にさっと中華の炒め物にして、夕食のひと皿に出してくれたことを懐かしく思い出す。

 季節が巡り、また旬の美味しいものを食べられるというのはいいものだ。本書はそれをいつも喜べる世の中であることを願い、祝うような一冊であるとも思った。