東と西 横光利一の旅愁

関川夏央

定価(税込):2,310円

渋面で描く近代日本像

片山杜秀

 

 横光利一が一九三七年から敗戦直後まで書き継いで結局未完に終わった長編小説『旅愁』。それをサカナにした大漫談である。いや、漫談というよりはやや無愛想な長談義と呼ぶべきかもしれない。著者の書きっぷりは決して楽しげではない。けっこう渋面である。
『旅愁』の主人公は西洋文化にそれなりに親しんできたつもりの日本人。彼が実際に欧州に留学する。さまざまな違和感に苛まれる。孤独に追い詰められる。寂しくなる。祖国が恋しくなる。人として分かりあえる相手は同じ日本人しか居ないだろうと思う。異郷はどこまでも異郷だと肌身で知って帰国する。そのあと、かつてはそれほどと思わなかった日本のよさを再発見してゆく。日本に回帰する。
 陳腐なまでにステレオタイプともいえる。だが横光はその物語を平凡と見限らない。決して冷笑的にも虚無的にも進めない。すこぶる真面目なのである。誠実に書き込もうとして七転八倒する。そこが横光のよさだろう。その真摯さゆえに『旅愁』は横光一個の文学ではなく日本人の文学になりおおせている。西洋と接触する日本人の煩悶体験の典型が、濃い墨汁でとられた魚拓のように生々しく精密に、多くの破調もそのままに綴られる。『旅愁』というひとつの小説を通じて、明治や大正や昭和の日本人のもろもろの洋行体験が似たようなものとして、もしくはいくぶん食い違ったものとして思い起こされてくる。著者は、そういう連想術を稼働させる転轍機というか、色々な経験を飲み込み吐き出しのたうつ大魚のような代物として『旅愁』を発見する。あとは『旅愁』から思い起こされるものどもを横光と組み合わせて盛り付けてゆけば大漫談は際限なく回転してゆく。
 著者が本書で繰り広げる連想とはたとえばどのようなものか。横光が『旅愁』を生み出す欧州旅行に実際に出かけたのは一九三六年。行きは神戸から船。俳人の高浜虚子が同船していて、洋上や経由地で度々句会が開かれる。はじめのうち横光は「鰐怒る上には紅の花鬘(はなかづら)」などと詠んで虚子に褒められる。しかし日本から遠ざかるにつれ「俳句はだんだん下手(まず)くなって来た」(横光の日記から)。「印度洋羽毛動かず鳥立ちぬ」とか「十五夜の月はシネマの上にあり」とか。
 だがこの俳句の拙さはひとり横光の問題ではない。虚子でさえ下手になってくる。日本の四季の移ろいから遠くなればなるほど、俳句の美学を成り立たしめ詠み手と受け手の共感の地平を確保する季語が利かなくなってくるのだ。よい俳句ができるわけもない。横光も虚子も日本人としての手足をもがれたように感ずる。
 この話が著者の連想を広げてゆく。一九〇〇年、夏目漱石がロンドン留学の旅に出る。横浜から船で行く。乗船直前、寺田寅彦宛の葉書に一句添える。「秋風の一人をふくや海の上」。好調である。ところが漱石の俳味は早くも香港あたりで衰える。香港から日本の高浜虚子に贈った一句。「阿呆鳥熱き国にぞ参りける」。著者は「凡作である」と断ずる。
 本書の流儀とはこういうものだ。一九〇〇年の漱石と一九三六年の横光の洋行が、三十六年のギャップを二人の共通の知人、虚子に埋められて、見事につながる。しかも時代の懸隔は結果に何の相違ももたらさない。俳味の喪失が日本人としてのアイデンティティを壊す。自信喪失の萌芽となる。単なる繰り返し。明治から昭和への歴史は何の進歩ももたらしていない。しかもそれは目的地の欧州に着くはるか手前の出来事なのだ。
 もっと遠くに行けばもっとおかしくなるのではないか。欧州ではさらに精神が痛めつけられるのではないか。本書はその予想を裏切らない。横光の旅の愁いを、著者はたとえば漱石の、あるいは二葉亭四迷の、森外の、林芙美子の、その他大勢の洋行体験と重ね、交錯させながら深めてゆく。そこからある種のイライラを抱えた未完の大作『旅愁』が立ち上がってくるのである。
 そういう異郷での精神の危機の経験は、危機を克服するための足下の練り直しを要請する。ここに日本回帰という定番が登場する。定番といってもやはりヴァリエーションはある。著者は『旅愁』に先んじる横光の短編小説「厨房日記」に描かれた、シュールレアリスト、トリスタン・ツァラと横光との会話を取り上げる。一九三六年春、パリでの本当の出来事。通訳を務めたのは若き日の岡本太郎である。
 ツァラに日本での超現実主義の人気のほどを尋ねられた横光はこう返答する。「日本ではシュールリアリズムは地震だけで結構ですから、繁昌しません」。
 欧州の詩人や芸術家は超現実主義を現実社会への抵抗の方法として発明した。ところが横光は地震国日本の現実そのものが超現実だという。そこには関東大震災の体験が反映している。日本の自然環境が用意する超現実性│想定外や例外状況が当たり前という語義矛盾の現実│を受け入れ適応しなくては、日本人は生きていけない。
 このツァラとの会話から『旅愁』での主人公の日本回帰の質も定まってくるというのが著者の見立てだろう。『旅愁』が強調する回帰すべき日本とは古神道の日本なのだ。横光の理解する古神道を端的に言えば、いついかなる事態が起きようともそのありのままを素直に肯定する態度なのだと思う。大戦争も大災害も平和も悲惨も敗戦も、みんな肯定するのである。この極端な日本像とは、西洋への感覚的違和がおのれの無力感・非存在感にまで進み、それがおのれのみならずおのれを支える日本にまで投影されて出き上がるのだろう。それが、西洋の理性中心主義というか何でも人間がやりおおせるという思想への地震国日本人の本能的反発ゆえに増幅するのだろう。
 近代日本人が西洋への旅の愁いの果てに辿り着く日本像が、戦時期の文学たる『旅愁』ほど常に極端な質を示すわけではないにせよ、やはり多かれ少なかれ「古神道的」な全肯定のニヒリズム--個人の無力を当たり前として現実に随順する寂しい信仰--をどこかに孕むものであるとすれば、『旅愁』から紡がれる近代日本論が楽しく希望に満ちたものになるはずがない。横光が大真面目で誠実なキャラクターだけにその感はなおさらだ。やはり本書は渋面の漫談である。

 横光利一が一九三七年から敗戦直後まで書き継いで結局未完に終わった長編小説『旅愁』。それをサカナにした大漫談である。いや、漫談というよりはやや無愛想な長談義と呼ぶべきかもしれない。著者の書きっぷりは決して楽しげではない。けっこう渋面である。

『旅愁』の主人公は西洋文化にそれなりに親しんできたつもりの日本人。彼が実際に欧州に留学する。さまざまな違和感に苛まれる。孤独に追い詰められる。寂しくなる。祖国が恋しくなる。人として分かりあえる相手は同じ日本人しか居ないだろうと思う。異郷はどこまでも異郷だと肌身で知って帰国する。そのあと、かつてはそれほどと思わなかった日本のよさを再発見してゆく。日本に回帰する。

 陳腐なまでにステレオタイプともいえる。だが横光はその物語を平凡と見限らない。決して冷笑的にも虚無的にも進めない。すこぶる真面目なのである。誠実に書き込もうとして七転八倒する。そこが横光のよさだろう。その真摯さゆえに『旅愁』は横光一個の文学ではなく日本人の文学になりおおせている。西洋と接触する日本人の煩悶体験の典型が、濃い墨汁でとられた魚拓のように生々しく精密に、多くの破調もそのままに綴られる。『旅愁』というひとつの小説を通じて、明治や大正や昭和の日本人のもろもろの洋行体験が似たようなものとして、もしくはいくぶん食い違ったものとして思い起こされてくる。著者は、そういう連想術を稼働させる転轍機というか、色々な経験を飲み込み吐き出しのたうつ大魚のような代物として『旅愁』を発見する。あとは『旅愁』から思い起こされるものどもを横光と組み合わせて盛り付けてゆけば大漫談は際限なく回転してゆく。

 著者が本書で繰り広げる連想とはたとえばどのようなものか。横光が『旅愁』を生み出す欧州旅行に実際に出かけたのは一九三六年。行きは神戸から船。俳人の高浜虚子が同船していて、洋上や経由地で度々句会が開かれる。はじめのうち横光は「鰐怒る上には紅の花鬘(はなかづら)」などと詠んで虚子に褒められる。しかし日本から遠ざかるにつれ「俳句はだんだん下手(まず)くなって来た」(横光の日記から)。「印度洋羽毛動かず鳥立ちぬ」とか「十五夜の月はシネマの上にあり」とか。

 だがこの俳句の拙さはひとり横光の問題ではない。虚子でさえ下手になってくる。日本の四季の移ろいから遠くなればなるほど、俳句の美学を成り立たしめ詠み手と受け手の共感の地平を確保する季語が利かなくなってくるのだ。よい俳句ができるわけもない。横光も虚子も日本人としての手足をもがれたように感ずる。

 この話が著者の連想を広げてゆく。一九〇〇年、夏目漱石がロンドン留学の旅に出る。横浜から船で行く。乗船直前、寺田寅彦宛の葉書に一句添える。「秋風の一人をふくや海の上」。好調である。ところが漱石の俳味は早くも香港あたりで衰える。香港から日本の高浜虚子に贈った一句。「阿呆鳥熱き国にぞ参りける」。著者は「凡作である」と断ずる。

 本書の流儀とはこういうものだ。一九〇〇年の漱石と一九三六年の横光の洋行が、三十六年のギャップを二人の共通の知人、虚子に埋められて、見事につながる。しかも時代の懸隔は結果に何の相違ももたらさない。俳味の喪失が日本人としてのアイデンティティを壊す。自信喪失の萌芽となる。単なる繰り返し。明治から昭和への歴史は何の進歩ももたらしていない。しかもそれは目的地の欧州に着くはるか手前の出来事なのだ。

 もっと遠くに行けばもっとおかしくなるのではないか。欧州ではさらに精神が痛めつけられるのではないか。本書はその予想を裏切らない。横光の旅の愁いを、著者はたとえば漱石の、あるいは二葉亭四迷の、森鷗外の、林芙美子の、その他大勢の洋行体験と重ね、交錯させながら深めてゆく。そこからある種のイライラを抱えた未完の大作『旅愁』が立ち上がってくるのである。

 そういう異郷での精神の危機の経験は、危機を克服するための足下の練り直しを要請する。ここに日本回帰という定番が登場する。定番といってもやはりヴァリエーションはある。著者は『旅愁』に先んじる横光の短編小説「厨房日記」に描かれた、シュールレアリスト、トリスタン・ツァラと横光との会話を取り上げる。一九三六年春、パリでの本当の出来事。通訳を務めたのは若き日の岡本太郎である。

 ツァラに日本での超現実主義の人気のほどを尋ねられた横光はこう返答する。「日本ではシュールリアリズムは地震だけで結構ですから、繁昌しません」。

 欧州の詩人や芸術家は超現実主義を現実社会への抵抗の方法として発明した。ところが横光は地震国日本の現実そのものが超現実だという。そこには関東大震災の体験が反映している。日本の自然環境が用意する超現実性--想定外や例外状況が当たり前という語義矛盾の現実--を受け入れ適応しなくては、日本人は生きていけない。

 このツァラとの会話から『旅愁』での主人公の日本回帰の質も定まってくるというのが著者の見立てだろう。『旅愁』が強調する回帰すべき日本とは古神道の日本なのだ。横光の理解する古神道を端的に言えば、いついかなる事態が起きようともそのありのままを素直に肯定する態度なのだと思う。大戦争も大災害も平和も悲惨も敗戦も、みんな肯定するのである。この極端な日本像とは、西洋への感覚的違和がおのれの無力感・非存在感にまで進み、それがおのれのみならずおのれを支える日本にまで投影されて出き上がるのだろう。それが、西洋の理性中心主義というか何でも人間がやりおおせるという思想への地震国日本人の本能的反発ゆえに増幅するのだろう。

 近代日本人が西洋への旅の愁いの果てに辿り着く日本像が、戦時期の文学たる『旅愁』ほど常に極端な質を示すわけではないにせよ、やはり多かれ少なかれ「古神道的」な全肯定のニヒリズム--個人の無力を当たり前として現実に随順する寂しい信仰--をどこかに孕むものであるとすれば、『旅愁』から紡がれる近代日本論が楽しく希望に満ちたものになるはずがない。横光が大真面目で誠実なキャラクターだけにその感はなおさらだ。やはり本書は渋面の漫談である。