月の輪草子

瀬戸内寂聴

定価(税込):1,365円

平安の随筆家、平成の小説家

酒井順子

 

 清少納言は老後おちぶれて孤独に暮らしていた、という落魄説があります。そのようなことが語られる理由の一つに、「紫式部のせい」があるのでしょう。
 紫式部日記にて、彼女が清少納言について激烈な悪口を書いていることは、よく知られています。
「清少納言こそ、したり顔にいみじうはべりける人」
 で始まるこの文章の、「こそ」にこもった激しい悪意といったらありません。
 紫式部は、清少納言が賢人顔で漢字を書き散らしたりする様が、とにかく気に入らなかったのです。本人は、宮仕え中に一という字すら知らない顔をしていたという、謙遜しすぎのあまり謙遜自慢になっていたような人。
 そんな紫式部からしたら、枕草子に清少納言が自ら書いたような「私ってこんなに知的」「知的だからこんなに人気者」という話は、我慢ならないものであったに違いありません。清少納言に対して、「人と違ったことをしたがる人は必ず見劣りして、行く末は悪くなるばかり」とか、「軽薄な人の末路に、どうして良いことがありましょう」と、ほとんど呪いのような文章を記しているのです。それを読んだ後世の人が、「清少納言は晩年、不幸になったのかも」と思うのも当然か。
 清少納言贔屓の私としては、「そんなことはない」と、清少納言の幸せな老後を信じたい気持ちを持っているのですが、しかし『月の輪草子』に登場するのは、老後にただ一人、回想にふける清少納言なのです。中宮定子に仕えていた時代、華やかに周囲を彩った人々は、定子のみならず皆、冥界へと旅立ってしまったのに、清少納言はただ一人、生き続けなければならない。
 しかし読み進めるうちに、「こういう物語を読みたかったのだ」という気持ちが、私の中には湧いてきました。清少納言は、まとまった作品としては枕草子一作しか残しておらず、その後、年をとってから彼女が何を思ったのかを、私達は知ることができません。そして枕草子にはたくさんの「書かれていないこと」があるわけですが、そのことについて彼女が何を知り、どう考えていたかも、わからない。
『月の輪草子』は、清少納言ファン心理の、そんな空隙を満たす物語です。出家をし、月の輪の山ほとりで庵をむすぶ清少納言がつらつらと思い返すのは、宮仕え時代のこと。定子への憧憬の思い、定子の父である藤原道隆の死去とともに始まった中関白家の没落、道隆の弟である道長の躍進。そして清少納言自身の、家族の物語……。
 史実に残ることばかりでは、もちろんありません。史実と史実の間をつなげているのは、瀬戸内寂聴さんが縦横に働かせた想像力。枕草子という随筆は、どのようにして書きはじめられたのか。清少納言と道長の関係。父の娘としての清少納言。……と、枕草子に「書かれなかったこと」が、驚くような彩りとともに提示されていき、その彩りによって、私の中で静止画像として存在していた清少納言は、生き生きと動きだしました。
 この小説における清少納言は、齢九十を迎えて、昔語りをしています。それは、瀬戸内さんご自身と同じ状況なのです。出家をし、京郊外の庵に住む、九十歳の瀬戸内さんにしか知ることができない清少納言の心が、物語には込められています。すなわちこれは、平安の随筆家と平成の小説家による、時を超えたコラボレーション作品。
 次第に私は、清少納言は本当にこのように晩年を過ごしたのかもしれない、と思えてきたのでした。彼女の老後落魄説が流れたのは、おそらく紫式部のせいだけではありません。彼女自身が枕草子の中で、「女が一人で住むところは、完璧な住まいではなく、築土や庭なども、少し荒れて寂しげな方がよい」といったことを書いています。女一人という心細い状況であるなら、ぱりっとした家でなく、少し雑草がはえているくらいの方が「相応」であり「あはれ」であると、彼女は思っていたのです。であるならば、自身が老いた時も、虚勢を張ることなく、「老いたなり」の姿をさらしていたのではないか。
 本書には、
「わたしは人間が好きだ」
 という清少納言のつぶやきがあります。確かに彼女は、社交的な人なのです。紫式部と比べると、宮仕えにもスムーズに馴染んだようですし、今を生きる私達にも、「友達にするなら、紫式部より清少納言」と思わせる明るさがある。
 しかし彼女は、人間の良い面や明るい面だけを好んだ人ではありません。醜い面、暗い面にも、彼女はぐっとひきつけられた。人生のマイナス面をも興味をもって観察し、そこにも躊躇なく近づいていったのです。
 本書における、清少納言と道長とのエピソードは、彼女のそんな一面をあぶり出します。自らが仕える定子にとっては敵でもある道長にも、好奇心を覚えてしまう清少納言。同時代の女流歌人について父と話している時、
「ものを書く人間がいい人である筈がない」
 と父は言うのですが、その言葉は、娘の中のある部分を的確に言い当てています。
 清少納言は、清濁あわせて「人間が好き」という感覚を、そのまま白い紙に綴りました。自らの自慢心も心の闇も隠さない枕草子は、「そのまま」であるからこそ、千年たった今も、人々に読まれ続けているのでしょう。彼女の老後落魄説も、「そのまま」という姿勢を背負って随筆を書いた者の、宿命なのかもしれません。
 明るさと暗さ、そして過去と現在。対極にあるものが絡み合う『月の輪草子』は、見る角度によって表情を変えるタペストリーのような小説です。角度を変えることによって事実がキラリと光る瞬間をすくう喜びは、枕草子を読む喜びと、似ているのです。

 清少納言は老後おちぶれて孤独に暮らしていた、という落魄説があります。そのようなことが語られる理由の一つに、「紫式部のせい」があるのでしょう。

 紫式部日記にて、彼女が清少納言について激烈な悪口を書いていることは、よく知られています。

「清少納言こそ、したり顔にいみじうはべりける人」

 で始まるこの文章の、「こそ」にこもった激しい悪意といったらありません。

 紫式部は、清少納言が賢人顔で漢字を書き散らしたりする様が、とにかく気に入らなかったのです。本人は、宮仕え中に一という字すら知らない顔をしていたという、謙遜しすぎのあまり謙遜自慢になっていたような人。

 そんな紫式部からしたら、枕草子に清少納言が自ら書いたような「私ってこんなに知的」「知的だからこんなに人気者」という話は、我慢ならないものであったに違いありません。清少納言に対して、「人と違ったことをしたがる人は必ず見劣りして、行く末は悪くなるばかり」とか、「軽薄な人の末路に、どうして良いことがありましょう」と、ほとんど呪いのような文章を記しているのです。それを読んだ後世の人が、「清少納言は晩年、不幸になったのかも」と思うのも当然か。

 清少納言贔屓の私としては、「そんなことはない」と、清少納言の幸せな老後を信じたい気持ちを持っているのですが、しかし『月の輪草子』に登場するのは、老後にただ一人、回想にふける清少納言なのです。中宮定子に仕えていた時代、華やかに周囲を彩った人々は、定子のみならず皆、冥界へと旅立ってしまったのに、清少納言はただ一人、生き続けなければならない。

 しかし読み進めるうちに、「こういう物語を読みたかったのだ」という気持ちが、私の中には湧いてきました。清少納言は、まとまった作品としては枕草子一作しか残しておらず、その後、年をとってから彼女が何を思ったのかを、私達は知ることができません。そして枕草子にはたくさんの「書かれていないこと」があるわけですが、そのことについて彼女が何を知り、どう考えていたかも、わからない。

『月の輪草子』は、清少納言ファン心理の、そんな空隙を満たす物語です。出家をし、月の輪の山ほとりで庵をむすぶ清少納言がつらつらと思い返すのは、宮仕え時代のこと。定子への憧憬の思い、定子の父である藤原道隆の死去とともに始まった中関白家の没落、道隆の弟である道長の躍進。そして清少納言自身の、家族の物語……。

 史実に残ることばかりでは、もちろんありません。史実と史実の間をつなげているのは、瀬戸内寂聴さんが縦横に働かせた想像力。枕草子という随筆は、どのようにして書きはじめられたのか。清少納言と道長の関係。父の娘としての清少納言。……と、枕草子に「書かれなかったこと」が、驚くような彩りとともに提示されていき、その彩りによって、私の中で静止画像として存在していた清少納言は、生き生きと動きだしました。

 この小説における清少納言は、齢九十を迎えて、昔語りをしています。それは、瀬戸内さんご自身と同じ状況なのです。出家をし、京郊外の庵に住む、九十歳の瀬戸内さんにしか知ることができない清少納言の心が、物語には込められています。すなわちこれは、平安の随筆家と平成の小説家による、時を超えたコラボレーション作品。

 次第に私は、清少納言は本当にこのように晩年を過ごしたのかもしれない、と思えてきたのでした。彼女の老後落魄説が流れたのは、おそらく紫式部のせいだけではありません。彼女自身が枕草子の中で、「女が一人で住むところは、完璧な住まいではなく、築土や庭なども、少し荒れて寂しげな方がよい」といったことを書いています。女一人という心細い状況であるなら、ぱりっとした家でなく、少し雑草がはえているくらいの方が「相応」であり「あはれ」であると、彼女は思っていたのです。であるならば、自身が老いた時も、虚勢を張ることなく、「老いたなり」の姿をさらしていたのではないか。

 本書には、

「わたしは人間が好きだ」

 という清少納言のつぶやきがあります。確かに彼女は、社交的な人なのです。紫式部と比べると、宮仕えにもスムーズに馴染んだようですし、今を生きる私達にも、「友達にするなら、紫式部より清少納言」と思わせる明るさがある。

 しかし彼女は、人間の良い面や明るい面だけを好んだ人ではありません。醜い面、暗い面にも、彼女はぐっとひきつけられた。人生のマイナス面をも興味をもって観察し、そこにも躊躇なく近づいていったのです。

 本書における、清少納言と道長とのエピソードは、彼女のそんな一面をあぶり出します。自らが仕える定子にとっては敵でもある道長にも、好奇心を覚えてしまう清少納言。同時代の女流歌人について父と話している時、

「ものを書く人間がいい人である筈がない」

 と父は言うのですが、その言葉は、娘の中のある部分を的確に言い当てています。

 清少納言は、清濁あわせて「人間が好き」という感覚を、そのまま白い紙に綴りました。自らの自慢心も心の闇も隠さない枕草子は、「そのまま」であるからこそ、千年たった今も、人々に読まれ続けているのでしょう。彼女の老後落魄説も、「そのまま」という姿勢を背負って随筆を書いた者の、宿命なのかもしれません。

 明るさと暗さ、そして過去と現在。対極にあるものが絡み合う『月の輪草子』は、見る角度によって表情を変えるタペストリーのような小説です。角度を変えることによって事実がキラリと光る瞬間をすくう喜びは、枕草子を読む喜びと、似ているのです。