三陸の海

津村節子

定価(税別):1,200円

なぜふたりは、この地に結びつけられたのか

木村紅美

 東日本大震災の起きた平成二十三年三月十一日の記述から始まる。世界最大級の地震、千年に一度とも言われる怖ろしい津波に襲われた三陸海岸、なかでも岩手県の北部にある田野畑村に、夫であった故・吉村昭とともに深いつながりのあった作者は、その日、長崎県にいた。

 私の実家は、二十年前から盛岡市にある。震災以降、しょっちゅう帰省するようになった。かけがえのない沢山の命が失われ、いったんは廃墟と化した被災地が、どう変化してゆくのか気になり、東京から戻るたび、三陸のあちこちへボランティアに出かけたり、旅行したりする。それでも田野畑にはまだ行ったことがない。

 遠い。交通が不便。同じ岩手県内なのに、いまでも、片道三時間かかる。村の名前のついたおいしいアイスクリームは盛岡市内でもよく見かける。NHKの朝ドラ『あまちゃん』に出てきた北三陸鉄道のモデルとなった三陸鉄道北リアス線が通っている。私でさえ、それくらいのイメージしか抱いていないこの村の写真を収めたアルバムが、作者の手元には、小説の舞台などで縁が深い長崎と同じ冊数、あるという。二つの土地の知名度の差を考えると、なんともアンバランス。なぜそこまでふたりは田野畑に惹かれたのか。結びつけられたのか。思い入れの強さを謎のように感じさせ、読み手を惹きつけ、時間はあの日から、半世紀を一気にさかのぼる。

 まだ作家として世に出るまえの結婚まもない夫婦は、生活のために、メリヤス製品の行商の旅へ出る。ここにも、今回の津波で被災した町の名前が次々と書かれる。地元の老人の忘れられない親切を受けた石巻。作者が石巻で店番をしている間に、夫が店を出せるような町かようすを見に行った、女川、気仙沼。製鉄工場は活気があったものの、人々が買い物に出歩くような通りはなく、商売するのには不向きだった釜石。東北での売り上げを全て盗まれ、北海道へ渡る。雪の降るなか、店を開けそうな場所を求め、最東端の根室まで行き着く。寒さの厳しい海辺の町を転々としてゆく旅路をよみがえらせる作者の筆遣いは、みずみずしい。小説を書く、という志がどれだけ、先行きの見えないその日暮らしで助けあう日々のなかで若いふたりの生きる支えになっていたか、光り輝くように伝わってくる。

 芥川賞の候補にくり返し挙がりながらも、執筆する余裕を失っていた吉村が、会社を退職し、初めて田野畑へ向かったのは、繊維組合の仕事で知りあった村の出身者に勧められてのことだ。当時は、東京から行くには、二泊三日かかった。ここで、昭和四十一年に太宰治賞を受ける短篇「星への旅」の着想を得て、長いつきあいが始まる。村の手前にある谷にようやく橋が架かる。自然を守るため、決して大手の観光業者と公害を出す企業を入り込ませない早野村長、僻地医療を志し家族を連れ赴任してきた将基面(しようぎめん)医師といった、そのまま小説の題材となる魅力的な人たちとの出会い。バブル崩壊に原発事故を経たいまとなっては慧眼と思える、独特な発想をする村長の情熱に驚かされる。唯一のホテル、羅賀荘が開業。酪農の質を上げるため、優秀な乳牛がやって来る。どこか日本と別世界のようなのんびりとした村の歩みとともに、本のなかの時間は、一行ずつ、確実に、現在へと近づいてゆく。

 作家同士、互いの作品は読まないことにしていたという。作者が、すでに亡くなった吉村の「三陸海岸大津波」を初めて読んだのは、大震災の直後のことだ。あの時期、津波を警告していたとして大変な話題になったこの本を、私は震災の翌月に帰省し、三陸へ通い始めたころに読んだ。まだいたるところで家が引っくり返り、水没し、木の枝から千切れた衣服やふとんがぶら下がって、泥と海藻におおわれた車が山積みになっていたころだ。倒れた建物が折り重なった住宅街や商店街、がれきの散乱した田畑で、自衛隊や警察が遺体を捜索していた。潮のにおいと、いろいろなものの腐りつつあるにおいが混ざりあい、バスのなかにまで漂っていた。ボランティアの帰りに読んでいると、窓の外に広がる光景と溶けあうようで、記録から想像し書かれた津波の描写のなまなましさ、じっさいに体験した眼で捉えられたような正確さに、息苦しくなるほど圧倒されたのを覚えている。作者はこの本を通し、知らなかった夫の一面に触れる。津波に対する執念。彼が最初にむかしの津波の話を聞いたのも、田野畑だった。

 今回の津波による村の全壊・半壊・浸水など羅災戸数は五百八十二戸、死亡者は十五人、行方不明者は二十五人に上り、三陸鉄道の駅舎も流された。震災の翌年の六月、作者はひさしぶりに田野畑を訪れる。変わってしまった景色、なつかしい人たちと会う。水門を閉めに行った消防団員が、全員、波にさらわれ亡くなった話が痛々しい。

 現在でも東京から行くには丸一日かかる、有名な観光地でもない村に、夫はなぜ毎夏通いつづけたのか、作者はあらためて考える。世に出る転機となった小説の着想を得たから、というきっかけのみでは、到底、片づけられないことに、読み手もだんだんに、気づいてゆくはずだ。悲しいだけではなく、最後に、家を失い仮設住宅に暮らす女性たちの災害にめげないたくましさ、明るさが伝わってくる談話が紹介されている。私には、ドキュメンタリー映画『先祖になる』(池谷薫監督、二〇一二)に登場する、やはり津波で家を失いながら跡地に自力で家を建て直そうと奮闘する同じ岩手の昭和九年生まれ、佐藤直志さんの誇り高い姿と重なって思えた。なぜ、作家のなかでもよりによってこの夫婦が田野畑へ引き寄せられたのか。弘化と嘉永に村を拠点に起きたふたつの大きな一揆、明治二十九年と昭和八年、昭和三十五年に起きたチリ大地震による大津波までふり返りつつ、人と人、土地の巡り合わせの不思議さ、作家がある一つの場所と真摯に向きあいつづけることの大事さについて、胸を打たれずにいられない一冊だ。