創作の極意と掟

筒井康隆

定価(税別):1,300円

「作法本」を読む作法

本谷有希子

 これは罠だ。私は真っ先に、そう思った。だって筒井康隆の最新作のタイトルが『創作の極意と掟』だ。へそ曲がりな私は、その「創作の極意」という甘い言葉に一も二もなく警戒し、曲がり角の向こう側でおいでおいでと手招きする不審な人物がいないかと、思わず辺りを見回してしまいそうになった。それくらい怪しいではないか。こういう時、右手に握られているのが甘い菓子なら、左手に隠されているのは岩石のような粗塩と決まっている。筒井康隆はその粗塩を、軽い気持ちで極意を伝授されようと近づいた者の胃にたらふく詰め込むつもりに違いない。さらには、その塩でこちらの目を潰し、もう小説が二度と書けない体にしてしまうつもりなのだ。

 だから、ほら。「序言」で始まる本書の書き出しは、嵐の前の静けさのようなムードが漂う。「この文章は謂わば筆者の、作家としての遺言である」という厳かな一文で始まり、「この小文によってどなたかの筆でより面白い短篇や長篇が生まれたならば、それは望外の喜びである」と、筆者の目的が示されている。……おかしいな。どうやら本当に、創作の極意を教えてもらえそうな気配だ。

 例えば、本書のインデックスはこんなふうに分かれている。「凄味」の項、「諧謔」の項、「薬物」の項、「妄想」に「逸脱」の項、それから「破綻」の項……。もちろん作法本らしく「表題」や「展開」、「会話」「形容」という基本的な項目もきちんと存在する。なるほどと、ためになることも沢山あるのだが、どの項も読み進めるうち、やはり教書としてはアバンギャルドすぎる方向に進み、「それをとことん突き詰めると……」という暴走が始まるのである。もちろん、その思考実験のほとんどを筆者は過去の小説で経験済みだ。小説における様々な「反復」について徹底的に描いた長篇ダンシング・ヴァニティ。「意識の流れ」を取り入れようとして書かれた、家族八景を第一部とする七瀬三部作。そんな体験談に加えて、我々は世界中の作家がこれまで行って来た前人未到の挑戦の痕跡を知らされることになり、文学の懐の広さと同時に、わけの分からなさに脱帽するのである(印象的だったのは、「実験」の項で紹介されるウォルター・アビッシュや、「文体」の項に登場するレーモン・クノー)。

 そういうわけで、本書は読み進めていけばいくほど、創作の作法本というよりも、何かしらの記録書を読んでいるのでは……と錯覚するような作りになっている。実験報告書と置き換えてもいいかもしれない。どうやら、作家の仕事とはそれぞれの蠟の翼をもって、灼熱の太陽に近づこうとすることらしい。本書で紹介される作家達の中には羽が短過ぎる者や、長過ぎる者、翼が氷でできた者や自分の手を翼のように手術してしまう者もいる。だが、あまりに彼らがひたむきなお陰で、地上の我々にはその翼が滑稽なのか、偉大なのかすら判断することができないのだ。

 一見ルーティンにも思える項目の反復によって我々が繰り返し、叩き込まれるのは、「小説の多様性」や「文学の多様性」のほうだ。思考実験を繰り返すこと。自由になろうとすること。筆者は「文学とは何か」という永遠の謎について、何かしらの答えを持っているらしい。直接語ることはしないが、項を読み終えるにつれ、まるで砂の中から少しずつ姿が見え始めるように筒井康隆その人の小説観が徐々に、浮き彫りになってくる。

 それこそが作法本に書かれるべき内容ではないかと思う。これまでに私は、高橋源一郎の『一億三千万人のための小説教室』や、保坂和志の『書きあぐねている人のための小説入門』や、ディーン・R・クーンツの『ベストセラー小説の書き方』、シド・フィールドの『シナリオ入門』、それにイタロ・カルヴィーノの『カルヴィーノの文学講義』など、作家の書く作法本にちょくちょく手を伸ばしてきた。もちろん、あわよくば何か実用的なヒントを貰えるかもしれないという下心もあった。が、結局は作家その人の「小説とは何か」という答えに触れられるかどうかが、そのまま作法本の価値なのだと、私はこの『創作の極意と掟』によってようやく達観した。そして、その答えは他の人間と違えば違うほど面白いのだということも。

 たとえば、高橋源一郎にとって小説とは「テーブルの足を寝転んで見るようなもの」だと私は理解したし、クーンツにとってそれは「一人でも多くの人間に読まれるべきもの」と解釈した。シド・フィールドの提唱するよきシナリオとは「構成の美しさ」であり、保坂和志の小説観は……まだうまく一つの言葉にすることができないが、とにかくそれぞれの答えを持っていることだけは確かだった。その他の、巷に溢れ返るいわゆる作法本が読むに値しないのは、その作者自身にとって最も大事な部分に触れようともしていないからだ。

 筒井康隆にとって小説とは、「蠟の翼で太陽を目指し続けること」だと私は考えた。もしくは「思考実験を繰り返すこと」だと。

 筆者が伝えようとしている(創作の自由とは何か)(そして、そんなものがあるのか)という問いに対する答えは、小説の書き方よりも、よっぽど作家が切実に知りたいことだ。そして創作の上で、必ず誰もがぶち当たる、とてつもなく大きな壁とも言える。現に私はその壁の存在に長くもがき苦しんだし、今もまだその呪縛から解放されてはいない。

 でも、本書がその壁にドリルで小さな穴を無数に開けてくれることだけは確かだ。穴はばらばらに存在しているかもしれないし、自分の手の届かないところにもあるかもしれない。だが、創作する人間ならその穴を利用し、最後に壁を破壊して向こう側に行かなければいけないのだ。『創作の極意と掟』が教える、自由の意味が分かるかどうかはその人次第だろう。そして、もし向こう側に行くことができたなら、その人はいずれ「自分の小説の作法本」を書かなくてはいけない。