「死」を前に書く、ということ 「生」の日ばかり

秋山 駿

2200円(税込)

護符の文学

若松英輔

 二〇一三年十月二日に秋山駿は逝った。さまざまな書き手を通じて文芸各誌は、現代日本文学の一翼をになったこの人物に追悼の言葉を送った。それらの文章を読めば深く信頼され、また愛された人物だったことは十分に分った。だが、秋山駿とは何者だったのかという問題は、依然残ったままである、そんな印象をぬぐうことはできなかった。

 晩年になって秋山は、自身をこう語り始める。「私はついに会社人でもなく、大学非常勤講師でもなく、文芸評論家でもなかった――そういう現実の生を、私は自分の身の周囲に形成することができなかった」。この言葉はそのままに受け止めなくてはならない。今日の社会が文学と定義している領域についに自分は生きることはできなかったというのである。

 本書は、そうした問いに本人が応えてくれる。そこにあるのは回答ではなく応答である。傷つきながら、どこまでも生の問いかけに応じようとする一つの魂の軌跡である。比喩ではない。魂の自覚は突然に起る。ある日、秋山は蟬の声を「心の襞の奥」で聴く。そして次の一節をつぶやくように書き記す。「蟬の声は、心に染み入る。心の襞の奥に分け入って、何か『見えないもの』からの秘密のお告げを伝えようとしているのだ」。本書は作者が、肉体の世界から魂の境域へと還って行く道程の記録なのである。

 この作品の前半で秋山は、時折、三十年以上前にノートに刻んだ自身の言葉を引く。かつての自分を懐かしむ態度ではなく、他者の著作から引用するように書き写す。自分を真に揺るがす言葉は自分から発せられる。彼はかつて自分が書いた言葉に驚く。その一つにこんな一節がある。

《私はあまりに生を深く掘り過ぎた。
――人と並んで立っていることができぬ。》

 何か確かなものを探して、独り人生という坑道を掘って来た。気がつけば誰もいないところまで来てしまった。誰かの手を握ろうと指を伸ばしてもまったく届かないところにいる、それが思索者秋山駿の実感だった。ここに生の優劣の判断はない。ただ、孤独という言葉すらそらぞらしく思われる実感がある。

 また、「想い」と「考える」とは異なるとも秋山は書いている。「想い」は何ものかの訪れである。真に「想う」ときも、人は独りでなくてはならない。真に思索するとき人は、どうしても独りでなくてはならない。

「私小説」があるように「私哲学」があってよい。むしろ「私哲学」の存在を見過してきたところに現代の陥穽があるのではないかと秋山は問いかける。彼は自身のことをけっして哲学者だとは言わない。しかし、自身の営為を表現するとなると「私哲学」としか言いようがないことを訥々と、ときに熱く語る。

 彼にとってデカルトの『省察』と『方法序説』は、「極上の『私小説』」であり、「私哲学」だった。高みにおいては「小説」も「哲学」も、一なる実在を呼ぶ二つの異名に過ぎないとも語る。

 この日記体の著述は、文字通り秋山の絶筆だといってよい。本文には、幾度となく互いに介護を必要とするようになった作者夫妻の生活の現状が切実に描き出されている。秋山は制度の矛盾を社会的にも、彼の表現で言えば「私哲学」的にも批判する。決めごとはあるが、そこには人間も、生活もないことを冷徹に語る。また、あからさまに書くことをしないが、本作は、彼の妻への深い感謝と情愛に貫かれている。

 最初からでなくてもよい。開いたところから数頁を読むだけでも、作者はこの作品の執筆を何度となく止めようとしていることがわかる。しかし、作品がそれを許さない。秋山はそうした実感を端的にこう綴っている。「――日記では、『日』が主人公であって、『私』が従者である」。

「日」が、「人」を通じて何かを語るのであって、真に生きているのは人間ではない。人間は自ら生きるものであるより、生かされている。人が人生を生きるのではない。人生の主体は人間ではない。彼はそれを別なところで「命」と呼ぶ。

 作者は杖なくしては外出できないほどに弱っている。だが、それと反比例するように「命」はまざまざと躍動する。「外出。一歩、一歩、杖突いて、『命』が歩いている」。ここで語られているのは、「私」の「命」の感覚ではない。主格はあくまでも「命」である。「命」が「私」を生きている。「命」は木々にも風にもなり、秋山駿にもなる。

「命」を感じるとき人は、「肉体の声」を聴く。聴くというよりも感じる。その「声」はすでに、言語の形をしていない。「もっと物を彩る色合いの微妙な変化とか、そよ風によって生ずる音の繊細な変化とか、そういうものに共鳴する微妙にして繊細なものだ」。言語は言葉の一形態に過ぎない。万物の微細な動きはすべて言葉となるというのである。葉の色の変化、季節を告げる風の訪れ、蟬の声、すべてが言葉として顕われる。万物が何事かを静かに物語る世界がある。

 この著作は次の一節から始まる。「窓には、一つの物語りがある」。窓の奥には見えない生活がある。そこでは人々が話しているかもしれない。もし、誰もいなかったとしても「物語り」は紡がれる。万物には言葉が秘められている。「いま住人が不在でもよろしい。空虚と棚や戸棚といった物達も、物語りを創る」と秋山は書いている。物質もまた、人間とは別なあり方で「生きている」。

「小林秀雄論」が秋山駿の処女作である。彼は幾度も小林を論じた。だが、本書を読んでいると、最後まで彼の傍らによりそっていたのは中原中也だった。より精確に言えば言葉である中也だった。最晩年にはこんな記述がある。

《自分の心の危機と感ずる度に、わたしは、中原の言葉を呼んだ。彼の詩は、まるでわたしの生の護符のようなものだ。》

 呼びかければ応える言葉と秋山は共にあった。この本の読者もまた、それぞれの護符となる言葉をこの作品中に見出すだろう。