御命授天纏佐左目谷行

日和聡子

定価(税別):1,900円

てんてんが素晴らしすぎる点について

海猫沢めろん

 先日、青空文庫で横光利一の「純粋小説論」を読んでびっくりした。

“もし文芸復興というべきことがあるものなら、純文学にして通俗小説、このこと以外に、文芸復興は絶対に有り得ない、と今も私は思っている。”

 そう始まるこの論考は、昭和10年に書かれている。80年近く前から、このような問題意識が純文学を書く作家たちのあいだにあったとは……ぜんぜん知らなかった(ちなみに、ここで言われている「日本の純文学」とは、偶然と感傷性を排除することによって成り立っている、「私小説」的なものだと横光は言う)。

 純文学にして通俗小説│ぼくの言葉で言い換えれば、「批評家をうならせつつ、主婦やサラリーマンたちを楽しませる」、ものすごく難易度の高いハードルを跳ぶこと。これはおそらく現代の作家の多くが夢見ながら、なかなか達成できない目標だろう。ここには、作品内の問題と作品外の問題が、深い溝をつくるように横たわっている……とはいえ、今日はそのような構造的問題の話をしたいのではない。日和聡子の『御命授天纏佐左目谷行』という作品集は、「純文学にして通俗小説」というものを高いレベルで体現しているのではないか、ということを読者諸君に伝えたいのである(結論にしか興味がないせっかちな諸氏はここで帰ってよし)。

 さて、本書には三つの作品が収録されている。

 最初の中編、「御命授天纏佐左目谷行」だが。まず……タイトルの画数の多さとこの読みづらさに注目してほしい。SEO(サーチエンジン対策)に特化した、「中身を読まなくてもすべてわかってしまう系」小説とは一線を画している。だからどうしたと言われると困るのだが……すいません。

 それはともかく、物語の時代は「太平の世」。宿無しの主人公「私」は、猫の君子たる夜見闇君に拾われ、屋敷に居候している。ある日「私」は、夜見闇君の依頼で、終日君という蚕の繭玉を佐左目谷君という相手に送り届ける旅に出ることになるのであった……。まるで鳥獣戯画や民話の世界のように、猫や胡瓜・茄子や鯰や錦蛇や小猿、あらゆるものがキャラクターとして登場する。

 文章は一見、古めかしい言葉遣いで書かれているように思える。しかし、突然「天纏佐左目谷 with 小猿の君」や「一陣のcoolな風」といった現代風のフレーズが出てきたり、くだけた口調での掛け合いがあったり。全体的にゆるふわでユーモラスな空気が漂っており、まるで小説空間自体にマッサージされるような心地よさで読み進められる。もちろん、ただゆるいだけではない。読者を幻惑する、小説としての構造的な仕掛けが何重にも施されており、読み終わるころには不思議な酩酊感を覚える。時代小説には旅から旅へ流れていく「股旅もの」というジャンルがあるが、この読後感、まるでマタタビにやられた猫の如し……。

 続く短編、「行方」は、女が謎めいた「影」に誘われるところから始まる。

 女は、どことも知れぬさみしげな海辺の寒村にたどりつき、そばにある漁師小屋に入る。すると老人がいる。そこで見つけた一冊の本。そこには女自身のことが書かれていた│というメタ構造の小説。

 一見すると記憶喪失もののホラーサスペンスによくある設定だが、読みの斜め上を行く展開を見せる。

 女はその本を繰り返し読むが、なぜか最後まで読みきることができないのである。中には老人のことも書かれていて、どうやら彼は釣り舟で霊たちを沖につれていく役目を持っているらしい。女が本を読み進め、自分のことが書かれている場面にくる……と、なぜかいつもそこで本を閉じてしまう(このあたりの不条理な展開に、説得力を持たせているのは著者の文章の力)。そんなある日の夜、彼女を導いた「影」がまたやってくる。果たして影は何者なのか……そして彼女は?

 全編を覆う霧のような雰囲気と、詩人でもある著者の文体が醸し出す異界の「質感」が秀逸である。詩的な文章と、物語をささえる構造のバランスに注目したい。

 最後は「かげろう草紙」。これまた怪談めいた雰囲気の幻想小説。するする読めて面白いので、お試しがてら最初にこの一編を読んでみるのも吉。

 深谷弥惣介は「虚屋敷漏」という筆名を持ち、自分で書いた草双紙を売る男(ラインナップのなかにさりげなく『夜見闇外伝・荒野之巻』という気になるタイトルのものが……)。寺院の境内でおこなわれている縁日の夜店に混じり、茣蓙を敷いて草双紙を売っていると、御面をかぶったお客がやってきて、彼の草双紙を全部買うという。しかも小判三両で。果たして客は何者なのか……。ちなみに、草双紙とは絵がはいった大衆小説のことで、江戸時代の「ライトノベル」のようなもの。要するに惣介は現代で言えば同人誌作家なのである。そう考えると、御面のお客はコスプレイヤーで、夜店はコミケである……と読めたりもする解釈の幅の広さも魅力的。

 というわけで、改めて三編一気読みしたが、いまだ余韻が消えない。文章のリズム、異界のにおい、思わず友達になりたくなるようなキャラクターたち、どれも魅力的だった。時代小説や、ユーモア小説として、あるいは猫好きにも、幅広く薦められる作品集である。おまけに挿絵も素晴らしく、プロダクトとして手元に置いておきたい逸品。至福の異界旅行ができる一冊。一読者として大満足、あーおもしろかったと素直に言えてしまう久しぶりの文芸作品であった。天晴れ。