猫の目犬の鼻

丹下健太

定価(税別):1,500円

駄目な男、成長する女、そして猫

瀧井朝世

 丹下健太作品というと、人間の滑稽な自意識やそれゆえの馬鹿馬鹿しい行動が実にチャーミングに書かれてあるという印象を持っている。憐憫や感傷といった湿り気は一切排除し、どこにでもいそうな人、どこにでもありそうな事を、とぼけた風味で描写する。なかでも出色は駄目男の造形で、『マイルド生活スーパーライト』の主人公は私の中で「駄目だけど嫌じゃない、でも絶対つきあいたくない男」第一位の座をずっと誰にも譲らない(二位以下がそれほどいるわけではないけれど)。風邪をひいた彼女のお見舞いに行くのにありえないほど遅刻し、しかもなぜかコンドームを買っていき、デート先を「どこでもいい」と言っておきながら相手が決めると「いまいちだな」と言い、別れ話を切り出されると納得できず、その際に相手が自分を川に流れる葉っぱに喩えたことを真に受けて、友人らと川で木の葉を流す実験を試みる。この場面は涙を流して笑いながら読んだ。

 というわけで丹下氏の新作が発表されたと聞いて、今度はどんな男の駄目っぷりが読めるのだろうとときめいたのだが、『猫の目犬の鼻』の表題作の中篇は女性が主人公なのだった。しかしこれが、まったく期待を裏切らない素晴らしさ。

 根本心美は中学三年生の夏休み前、挨拶する程度の面識はある同学年の小山一樹から突然告白される。初めての経験に戸惑い浮かれ、咄嗟に「考えさせてほしいけん」と答えたものの、その後「友達から始める」ということで実質的に交際をスタートさせる。しかし高校進学の直前に一樹が転校。遠距離恋愛はさほど続かず、やがて関西の大学に進学、就職活動で迷った末に地元に戻り、同窓会で一樹と再会し、そして……。と、十五歳から二十五歳になるまでの彼女の軌跡が語られていく。心美は素直で単純なのんびりした女の子で、その恋愛模様はどちらかといえばいきあたりばったり。恋人と別れた後の反応も案外軽く、恋だけではなく就職活動でも、地元に帰るかどうかの選択を先送りにするなど深刻に悩む様子がない。ただ、そんな彼女も毎回、最終的には自分で決断を下し、前を向いて生きている。

 タイトルは中学生時代の心美の「猫目」というあだ名と、一樹の犬のように食べ物の匂いを嗅ぐ癖から採られているが、実は猫もこの作品の主要キャラクター。心美が一樹とつきあいはじめた頃、彼女は近所の野良猫に「ぶち子」という名前をつける。心美が成長していく十年の間、ぶち子は妊娠と出産を繰り返してやがて死を迎え、その娘がまた妊娠と出産を繰り返す。人間がくっついたり離れたりささやかな悩みを抱いて立ち止まっている間に、ぶち子ら野良猫たちは何倍もの速度で猫生を駆け抜け、寿命をまっとうしていくのだ。

 心美の視点が幾度かするりとぶち子やその娘たちのそれに代わるが、決して野良猫の感情を人間に寄せて描くことをしないため、人間とこの動物たちがすぐ傍で生活していながらまったく違う速度、まったく違う世界観のなかで生きている様が浮かび上がってくる。では、人間の滑稽さと猫の生に対する潔さを対比させているだけかというとそうではなく、心美と猫はやがて決定的な接点を持つ。〈縁〉だとしかいいようのないこの繫がりは読者をセンチメンタルな気持ちにもさせるが、この出会いが心美にまた新たな決断をさせることに。本作は、そうやってひとつひとつ選択していくことで自分の人生を築いていく女性の成長物語でもある。

 そこで思い出したのが山内マリコ『アズミ・ハルコは行方不明』。主要人物の一人は地方都市のキャバクラに勤める二十歳の女の子で、彼女は同窓生となんとなく付き合い始め、彼やその友達からないがしろにされ、次第に男性に依存せずに生きようと自覚していく。地方都市という舞台といい、同窓生とのままならない恋愛といい、女性の男性依存からの脱却といい……。山内氏が現代の若い女性たちを励ます意味をこめて書いたガールズ小説と、駄目男を書かせたら天下一品の丹下氏の小説に共通点があるとは驚き。つまりはどちらも、現代の若い人たちの恋愛の図式を鋭く突いているということか。

 さて、私が期待していた駄目男描写だが、こちらも見事であった。告白した心美に「とりあえず、友達から」と言われて即座に「それってどういうこと? 結局つき合わんってこと?」と詰問するあたり、中学生の一樹に駄目男の萌芽が見えるのだが、社会人になってから再登場した彼も、女心を読み解こうとしない不躾さが顕在で笑える。しかも本作は女性視点であるため、その無神経さが相手をどう傷つけるかが明確にわかる。『マイルド生活スーパーライト』の主人公・上田の場合はあまりに言動が馬鹿馬鹿しくて微笑ましくすら思えたものの、本作の終盤で一樹が心美にしたある提案は(猫好きにとっては)完全にアウト。見事な駄目っぷりである。「駄目だけど嫌じゃない、でも絶対つきあいたくない男」どころではなく「絶対的に駄目な男」。だからこそ、素直に心から心美にエールを送りたくなるのだった。

 収録されている「ぱんぱんぱん」は、教室に鶏が入ってきた騒動とその顚末を、教師の戸惑いや生徒の反応を交えてユーモラスに描きつつ、最終的には鶏を引き取った男子生徒へと焦点が絞られていく。こじつけて読めばその子も駄目男の要素があるのだが、彼のその後は知れず、想像と余韻を残す短篇。「名の前の時間」は新たに飼った猫の名前を考えている子供が、自分や両親の名前の由来に興味を持つ話で、語り手はその父親。こちらは心温まるエピソードを笑える話に落とし込んでいるところがかえって効果的で、ちょっぴり滑稽な人間たちに対する、愛おしさが増してくる。残念ながら(?)駄目男要素はないが、非常に可愛らしい家族の話だ。