いい女 vs. いい女

木下古栗

定価(税込):1,470円

いい女とめくるめく読書

津村記久子

木下古栗さんの小説がとても好きなのだが、いつもすぐには飛びつかず、掲載誌を部屋に持ち帰って、あまり目に付かないところにひっそりしまいこんでいる。自分でもよくわからないのだが、たぶん、熟成とか発酵という意味がある行為なのだと思う。そして、辛い時や苦しい時、そっと持ち出してきて貪り読み、ひたすらフヘフヘして、束の間にその辛さや苦しさを忘れる。読書体験にもいろいろあって、知らないことを教えてもらったとか、あの感情はこう説明できるのかすごい、とか、ひたすら展開から目が離せなくておもしろかった、などのパターンがあるのだけれども、木下さんの小説は、ただもう読むことに快楽がある。わたしが読んだことがある小説の中でも、もっともその度数が高いように思える。

ときどきは、あまりに素晴らしいので、小説の書き手としての自分に立ち戻った瞬間に、落ち込むこともある。本書に収録されている「教師BIN☆BIN★竿物語」を「群像」掲載時に読んだ時、正直言って自分はもう小説を書くのをやめたほうが良いのかもしれない、と思った。自分は自分のために小説を書いているわけだが、こんなにおもしろい、自分が読みたい小説を書く人がいるのであれば、自分にとってすら自分の小説は不要なのではないか、と。その後も、いろいろな事情(主に人間関係と経済的なもの)があってわたしは公の場で小説を書いているけれども、「群像」のその次の号にでもまた木下さんの小説が掲載されていたら、いよいよ危なかったかもしれない。

そういうわけで、今回この書評を書くにあたって送ってもらったゲラも、ぎりぎりになるまで目を通せなかった。もったいなかったのだった。仕事じゃなかったら、本当にちびちび読んでいたであろう豪華な内容だった。一ページ読むごとに、本を伏せてうろうろして内容を消化しなければならないような豊穣さである。

及び腰ながら読み通してみて、改めて感じるのは、読んでも読んでもおもしろい文という基盤的な部分の凄みもあるのだが、随所に差し挟まれる事業や催しのアイデアもとても楽しいということだった。たとえば、「本屋大将」の、立ち読みをしつつ雑誌をスキャンして、勝手に編集し直した雑誌の電子版を作り、美容室や喫茶店に提供する小遣い稼ぎのようなものや、百円ショップ創業者の理念が、最終的に百均に住むべきという考えまで高められ、実際に老朽化して取り壊されることになったスポーツセンターの跡地の体育館を百円ショップに改造し、人を募集して実際にそこに一ヵ月住ませてみるという試み、そしてそれらを前座に回し、満を持して登場する、男の自画撮りヘアヌード写真集とその仕様、そして宣伝文句。このそれぞれのイベントだけでも、小説が一つ書けそうなのだが、ちまちま温存するなどという姑息なことはせずに、短い話の中で豪快に放出される。頭が下がる。それらの楽しげな試みについてが、「キラ星のごとく散在する立ち読み客の粘り」だとか、「疲れが女盛りのふくらはぎに蓄積していくのをひしひしと感じながら」といったまばゆいばかりの文章や、百円ショップに関する深い考察などと渾然一体となって、濃密な作品を形成している。冒頭の短い「本屋大将」だけでもこの様相なので、残りの二篇のクオリティは推して知るべしである。

そういえば、「教師BIN☆BIN★竿物語」を読んだ時は、もしかしてほんとうに作っている人がいるのでは? と思い、Googleで「手作りポルノ」というワードで検索してみたことがあるのだが、「手作りのポルノグラフィティのTシャツ」ばかりが出てきて、たいそう落胆した思い出がある。現実はつまらないものだ、と切って捨てつつも、べつにそれほどつまらないものでもないことはよくわかっている。しかし、木下さんの作品は、現実より明らかにおもしろいので、ずっと浸っていたいと思う。これはまるで、小学生の時に大長編ドラえもん「のび太の海底鬼岩城」を読んだ時のわくわく感のようだ、と、「いい女vs.いい女」の「Vネック耐久レース」のくだりを読みながら気が付いた。地下0.5階という素敵な場所設定と、裾にまで切れ込んだVネックの最下部の糸(仮にV糸とされている)についての異様に詳細な説明(「パッケージの段階では強度を増す特殊な薬品が塗られて容易には切れぬようになっており、各自袋から取り出して着用の後、そのV糸にスポイトでこれも特殊な、中和剤のような液体を一滴垂らすと補強効果が消えて、通常の糸一本の強度のみとなる」……)が、えも言われぬファンタジーへといざなってくれるのである。読んだことないけど、「ハリー・ポッター」好きの人がハリー・ポッターシリーズを読むのはこんな感じかとも思った。しかし、ここには一切、以前は虐げられていたが、実は血筋の良いエリートで、みたいなしみったれた妄想はなく、どちらかというと、男がとにかく人前で積極的に裸になりたがることが多い。そしてそこに意味を見出すかというとそうでもなく、ただ魔法のようなクオリティでそのこと自体を描いている。むしろ木下さん自身が、裸になりたい男を魔法のように描写するハリー・ポッターなのかと勘ぐりたくもなるが、裸の女についてもすばらしいし(「風流な乳首」……)、その他あらゆることについてが、読むことの愉楽に溢れている。現実より明らかにおもしろいと記したけれども、本当に、書店員がシャワーを浴びているというだけのこと、先生が生徒を部活に誘うというだけのこと、いい女を見たいというだけのことで、ここまで読者を釘付けにできるのかと瞠目してしまう。

日本語が読めたらきっとおもしろいだろう。まさに至福の一冊だと思う。