スピンク日記

町田康

1540円(税込)

スピンクは今日も歌う

松井雪子

『スピンク日記』の語り手は、スタンダードプードルのラブリー・スピンク。キーボードをポチポチと叩く主人・ポチ、美徴さん、兄弟犬キューティー・セバスチャンとの日々が綴られている。

日記のあいだにはたくさんの写真が挟み込まれている。主人・ポチに背後から覆い被さるスピンク。サーカス犬のように跳躍を高々と決めるスピンク。黄昏に染まった海辺で砂の感触を楽しむキューティーとのツーショット。まるでスピンク自身が選んだかのように、スピンクが「イケてる」写真ばかりである。まんまる目でカメラを見つめ、ほんわかと口を開いた写真は、今にも朗々と喋り出しそうな雰囲気を漂わせる。ふわふわの白毛に耳はパンクなピンク色。不可解なことにはビクターの犬のように首を傾げるほど思慮深く、家の中の空気が重たくなるとごはんを食べることができなくなる、そんな心優しい犬だ。

人間が書いているはずなのに、その目線は、完璧に犬そのものである。人間に対する深い洞察と哲学、犬の無邪気さ、心地よいリズムを伴った言葉のひとつひとつが、しっぽを振りながら行間を駆け回っているように思えてくる。

語り口の心地よさは、犬のふわふわの体毛を掻き分け、温かい身体に耳をうずめて聞く鼓動に似ている。私の家にも、スピンクの三分の一にも満たないサイズの、白と黒の二匹のトイプードルがいる。私は犬たちとくっついて寝ているときに、たいてい背中や腹に耳を当て、その鼓動を聞く。人間よりやや早い鼓動は、力強く、楽しげで、生きている嬉しさが伝わるような、陽気なリズムである。

群れのリーダーと認めた主人に従うことが犬のしあわせだと本で読み、私は仕方なく主人のふりをしている。本当は、犬の健康と散歩のためにかしずく付き人なのだけれど、犬は私を主人として信頼をよせるのだから、本当にエライもんだなぁ、と思う。

スピンクは、主人・ポチを心から愛している。いかにも犬らしい忠誠心が、所々に顔を出す。

たとえば悪質な業者からキューティーを引き取った次の日、スピンクは、
「キューティーの脚や全体状態、メンタル面も相当、悪いから早く病院に連れて行った方がいい」

主人・ポチに、がうがうと吠える。しかし主人・ポチは、わあた、わあた、と言いながら、ポチポチと仕事を始める。スピンクは、
「なんと心の冷たい男でしょうか。なんたるエゴイストでしょうか」

正義感にかられつつ、激高する。しかし、
「そんなことをしていると罰が当たるか、死後、裁きに遭います」

と思い、そんなことになったら主人・ポチが可哀想だと周辺をぐるぐる廻り、じたじたしたり、服の裾を噛んで引っ張ったり、ワンと吠えたりして、哀れな主人・ポチを助けようとするのだ。

さらに三歳になるころ、三分の二ほど残された人生を、名犬ラッシーのように「名犬」を目指すか、忠犬ハチ公のように「忠犬」を目指すか、スピンクは考える。

すでにその選択肢からして、自身の欲は皆無、主人・ポチへの忠義が根底にある。時代劇の人情話のような、人のために生きる潔い姿に、スピンクは渋谷の銅像よりエライよ、と目頭が熱くなった。

スピンクいわく、犬たちの目には、人には人の、犬なら犬のオーラが見える、らしい。さらにプードルは、前世も見えるのだという。見たあとに疲れるので滅多に見ないそうだが……。スピンクの見立てによると、主人・ポチの前世は、白い、柴とスピッツのミックス犬だったらしい。

確かに、主人・ポチは犬だったのかもしれない。スピンクの動きの表現が、人間が描写しているというよりも、犬そのものの感覚で描かれているとしか思えないほど、絶妙なのだ。

たとえば、スピンクが、用便に関してこだわるくだり。
「私が好むのは草地で、特に斜面になっている草地が好きです。斜面になっている草地になかば倒立するような恰好で、たっかく用便する。これが最高です」

その筋肉の動き、毛の立ち具合などが伝わってくる。わかる、わかる、たっかく用便するのって最高だよね、と肯きながら犬の体感を共有し、一緒に用を足したような爽快さを覚えたのだった。

数々の失敗と、笑いをふりまく主人・ポチ。スピンクは「変コ」と評する。

主人・ポチが、「それは去年の四十七歳の僕であって、年が明けて四十八歳になったいまは違う。刮目してこれを見よ」と威張るのだが、「より変コになっている気がします」と、スピンクは気の毒がる。しかし最後に、こう言い切る。
「まあ、仕方ありません。私たちはそのことを受けとめてみんなで暮らしていくより仕方ないのです。ルルルルル」

主人・ポチこと町田康さんと、スピンクの眼差しが交差する一文である。町田康さんが猫たちとの暮らしを綴った『猫にかまけて』、『猫のあしあと』における猫たちへの眼差しと、『スピンク日記』におけるスピンクの家族への眼差しは、同一なのだ。そこには語り手が何者であろうとも、巡り会ったものたちを見つめ、弱者を優しく受け止め、「どうか生き続けて欲しい」という祈りが込められている。スピンクの願いは、主人・ポチと美徴さん、そしてキューティー、猫たちと、変わりなく一緒に暮らすことだろう。そのために生きることが、犬の忠誠心というものなのかもしれない。

スピンクの心地よい語りが、家族への愛の賛歌に聞こえてくる。