折口信夫

安藤礼二

定価(税別):3,700円

曼陀羅――壮麗な仮説

持田叙子

 安藤礼二氏の思考は、自由な電気のようだ。鋭くすばやく空間を走り、青白く燃えてスパークし、多様な思想に感応し交感する。

 従来は異種異分野のものとして区別されてきた宗教学者や哲学者、言語学者、文学者の詩と思想を意表をついて結びつけ、越境的に網羅する。網羅の手法を駆使し、世界的な知の交歓図、すなわち曼陀羅をつくる。安藤氏の批評の大きな個性であり、醍醐味である。

 細密な粘りづよい調査が、この創造的な網羅を支える。だから読者にも鮮やかに、壮大な知の交歓図が見える。時代を流れる幾筋もの思想の川が見え、それらが交わり大河となり、その末に緑の森が生い育つのが見える。

 その森こそ、折口信夫。折口信夫とは著者にとり、時代の多様な思想を呑みこんで輝きあふれ、つねに枯れず常緑のいのちを放射する強烈な知の生命体であるのに他なるまい。

 デビュー作『神々の闘争 折口信夫論』、つづく『光の曼陀羅』以来、柳田國男に邂逅する以前の折口の若い時代を、大切な軸として追う。本人も語らぬ謎多い時代である。

 そこにこそ折口の真の「起源」があるとする。柳田民俗学の傘下にての折口の古代学の形成という、既存のイメージをくつがえす。

 糸口は、藤無染という人物。浄土真宗本願寺派の若き僧侶。大学時代の折口と同居した。著者は無染とその周辺を精査し、無染が仏教とキリスト教の融合をはかる革命家であったこと、折口が彼に共鳴していたことを明らかにした。

 伝記上の新事実の発見にとどまらない。時代の思潮の烈しい衝突、その渦中に折口を置く。無染の唱えた「一元論」哲学。ブッダとイエスを同一とし、仏教を世界宗教へ昇華する。その影響を折口は濃くこうむるとする。

 ことばを細分化する区別を特徴的に突破する折口の言語学も、古代神道と仏教キリスト教の融合を描く小説『死者の書』も、その思考の源はすでにここにあると著者は説く。圧倒的な説得力。深く驚き、深くうなずける。

 本書はさらにパワーアップする。たとえば第一章は無染の脇にいま一人、折口に無我の「愛」を教えたキーパーソンとして、らいてうとも並ぶ稀代の女傑・本荘幽蘭を配する。

 折口は神道系教義研究団体・神風会の活動を通してカリスマ性のつよい幽蘭と親しく、彼女の信奉する「純愛教」に青春を捧げていたという。

『青鞜』以前のフェミニズムの胎動の側にいた折口。彼が後に展開する巫女論との連関で示唆に富む。折口自身が巫女の時代に生きていた……! ただしプラトン的愛への心酔で、幽蘭と折口が「一つに結ばれていた」とまで言うのは、資料内容よりかなり劇的。二人を「純愛教」の始祖姉弟とするのも著者の物語(ロマン)の部分で、面白いとも強引ともいえる。少なくとも歴史家の資料の読み方とは全く異なるスタイルで、本書は鮮烈に幕を開ける。

 全八章の構成。別に「列島論」「詩語論」が立てられる。各章題は、「起源」「言語」「古代」「祝祭」「乞食」「天皇」「神」「宇宙」。五百三十余ページに及ぶ大著である。

 各章は言語論・芸能論・天皇論等を切口とし、折口の古代学の核心に突貫する。通底するのは、一九世紀後半から二〇世紀初頭に学際をこえて勃興する「一元論」思想への注目。ここに折口学の「起源」を探る。

 一元論は、分節し区分する既存の世界観に抗し、万物を融合させる古代的世界観への回帰をはかりつつ世界を新しく見直す試み、革命。この潮流に深く関わり創作した学者哲人芸術家と折口のあいだに「共有」される「起源」を見出し、折口学の内側と外側に世界思想とつながる多様な「通路」をひらく。

 発火点は無染。その連環で次々と、世界的な一元論思想家が折口学に接合される。

 無染が大きな影響をうけた仏教学者にして哲学者のポール・ケーラス。『一元論と改善論』の著者。自我の消滅する世界をイメージし、自然の結合を神とした。ケーラスがその理論の支柱としたのが、エルンスト・マッハの「感覚要素一元論」。これは言語と情調の一体化を唱える折口の『言語情調論』の一つの起源に相違ない。無染に教示され、折口は早くケーラスも摂取する。つまり折口学の生成は、マッハやケーラスなどアメリカに起流する一元論哲学をゆたかに複雑に受容した鈴木大拙、また西田幾多郎のしごとに併走するものと考えてみてもよいと著者は説く。――大きな問題の可能性が提案される。

 折口学と呼応するものとして、南方熊楠の生命論や、原初の音を愛するマラルメの詩も挙げられる。他にも西脇順三郎、井筒俊彦、平田篤胤……。ミクロとマクロの視野が活用される。マックス・ミュラーに学ぶ金沢庄三郎の言語学の越境的な比較精神が、折口学の一つの礎であると説く辺りは濃密。

 柳田学と折口学のきずなを「祝祭の学」と捉え、デュルケームやモースらフランス宗教社会学の成果と連関させるのも興味深い。折口のマレビト論は岡正雄を介してモース、エリアーデの関心を引いたという。後半では、折口の鍵語「天皇霊」を、外国語や古代語を往還する翻訳語とする箇所なども光る。

 紙数もあり、豊富な内容の一端しか紹介できない。全体を通して痛感する。すさまじい力業である。折口研究にかつてない広大な視野をもたらした。世界思想へ通ずる可能性の扉をつくった。安藤氏の曼陀羅は、政治宗教哲学史など諸分野からの関心を呼び、各発信を編集する自由な交叉の塔ともなった。

 もちろん今後、個々の思想家と折口学との結合│「一つの起源」の必然と意味が問われ、考究されてゆくのだろう。知の交歓図の世界的な広がりは極まった。さらには縦の深度が求められてゆくはずだ。

 安藤氏の曼陀羅は、生産力ある壮麗な仮説なのだと思う。事実と違うと言い立てて批判することにはあまり意味がない。逆に、曼陀羅図を固定し絶対化することにも意味はない。折口は仮説を愛した。仮説とは自らを強く固めず、つねに流動変化する意志をもつ。評論に独特の、けなげな妙なる美しさでもある。