浪華古本屋騒動記

堂垣園江

定価(税別):1,600円

小説というカラクリを解く

安藤礼二

 堂垣園江が、「赤線風情をそのまま残し、店先の揚見世には今でも遣り手婆の隣に商品の女の子がちょこんと座っていた」と記す本書の重要な舞台、「飛谷」のモデルである。聖と俗、信仰と欲望が一つに混じり合った町、大阪。堂垣がまず描き出そうとしたのは、日本では大阪以外のほとんどすべての場所ですでに失われてしまった、混沌とした都市そのものが持つ妖しげな魅惑の力であろう。一人の登場人物の口を借りて、こう語られている。「大阪は不思議な町です。どんな文化でも取り入れて独特の美的センスを磨いとる。通天閣がそうですがな。パリの凱旋門をもじった土台の上にエッフェル塔もどきを建てとるけど、派手好きのアホとちゃいまっせ。洒落が効いてまんねん。足元には赤線もどきの風俗街とドヤ街をはべらしとるし、気が咎めんのか仰山の寺で囲んで邪気を祓っとるところがかわいいがな」。

 しかも、この大阪という巨大な商業都市は、そのただ中に貴重な「宝」を隠し持っている。「宝」を秘めているのは、さまざまな欲望とともにさまざまな情報――「書物」と「財産」――の流れが行き交い、いくつもの焦点を形づくった「遊郭」である。堂垣は、大阪を舞台に、あらゆる物語の基本構造として抽出されることもある「宝探し」を、一癖も二癖もある古本屋たちに担わせる。古本屋たちは、現代の「錬金術師」なのだ。先ほどと同じ登場人物は、こう答えている。「うまいこと言うな。その通り。俺ら古本屋は、昔のゴミに価値を与える紙の錬金術師や。価値いうんは、ないところに隠れてる。ぱっと見には分かれへん」。商業都市・大阪の礎を築いた太閤秀吉の隠し財産を、遊郭に残された膨大な古書の山の中に探っていく古本屋たち。その姿は、ただの石を黄金に変える「賢者の石」を探究する中世の錬金術師たちに重ね合わされ、おそらくは、この現在の日本で書物を読み書物を書くという困難な営みに挑み続けている読み手にして書き手に重ね合わされる。

 現代の錬金術師たる古本屋たちは、独立した個々人でありながら「義理と人情」によって、組合という形でゆるやかに一つにつながり合っている。「義理と人情」はそこからの脱落をゆるさず、借金を重ねながらも生殺しにする「形而上的もろさ」と紙一重である。しかし、その「形而上的もろさ」で結ばれ合い、「永遠に続く学園祭前夜」を生き抜いている現代の錬金術師たる古本屋――いわば読み手のプロ――たちこそが、情報の混乱の中から一つの秩序を見出すことができるのである。堂垣は、古本屋たちが古書市にてんでばらばらに各自の本を並べていく様子をこう描く。「ごちゃごちゃはフラクタルに成長した。もちろんカオスの形成だ」。しかし、そのカオスとは「法則性を持つ混沌なのだ」、と。堂垣の筆は鋭い。ここに描き出されているのは、書物を読み書物を書くという脆弱なコミュニティをなんとか維持しようとしている「われわれ」の姿そのものである。紙に書かれた言葉を黄金に変えるにはどうしたらいいのか。客観的には単なる「ゴミ」に価値を与えるにはどうしたらいいのか。

 書き手は言葉を黄金のように磨き上げ、それらを用いて自らの作品を言葉の「宝箱」のように精緻に構築していくしかない。そして、その「宝箱」を、価値を理解してくれる既知の読み手に、もしくはそこに新たな価値を与えてくれる未知の読み手に、託すしかない。「宝箱」を託された読み手は、ある時から、より豊かで美しい「宝箱」を作り上げる書き手に変貌してゆくかも知れない。堂垣は、本書全体でそう答えているかのようだ。物語の最後で、本書に秘められた最大にして最高の「宝」の在処が明らかにされる。文字通り巨大な「宝箱」が読者の前に出現する。しかも、その「宝箱」を開くための鍵の構造は複雑をきわめていた。「宝箱」に取り付けられたつくり物のキツネの口のなかに「勾玉」のような鍵を差し込まなければならないのだ。その「勾玉」は「複式錠の鍵」としてはじめてその形をあらわすものだった。

「あのスプーンみたいな鍵を錠前に差し込めば、ネジ撥条が跳ねてカラクリ人形のように勾玉形に形状変化する。それをこのキツネの喉の奥にある窪みにはめ込めば、本錠が開くのだ」。堂垣は、「勾玉」を形づくる二つの鍵、スプーンとそれを差し込むことで「勾玉」となる鉄の塊を、「形而上的もろさ」で結ばれ合った古本屋という商売を継いでいかなければならない二人の若者、啓太とムシカにそれぞれ持たせる。しかし、物語の最後の最後まで、二人の持つ鍵を一つに合わせることはしない。幸運は思ってもみない偶然によって思ってもみない人物が手に入れる。「宝箱」をカラクリ人形のように作り上げた傀儡師のように、書き手は物語という精緻なカラクリを作り上げ、読み手に託す。限りなく読み易く、しかし小説の本質をあらわにする作品である。