かわいい結婚

山内マリコ

定価(税別):1,500円

斜め上の、ささやかな「救い」

春日武彦

 郵便振替で送金したいのに、ATMの使い方が分からない。一度挑戦してはみたものの、振込先を選択する時点で意味不明の単語と遭遇して混乱に陥った。それどころか、払込取扱票を「払込書の挿入口」へ入れてもすぐに押し戻される。向きを変えたり裏返してみたりして再チャレンジするも、また押し戻される。仕方がないので係員に助けを求めたら、わたしと同じ手順なのに今度はちゃんと用紙を吸い込んでくれる。

 なぜわたしだと上手くいかないのか。不慣れなのを機械が見透かして意地悪をしているとしか思えない。なんと陰険きわまりないATMなのか。すっかり自信喪失に陥った。

 帰宅してからネットで調べてみた。普段はそんな習慣などないけれど、調べてみずにはいられなかった。するとわたしと同様の体験をした人たちがちゃんと存在していることが分かった。どのような手順を踏めばATMに言うことを聞かせられるかも具体的に書いてある。ああ、なるほどこうすれば良いのか。読み終えて、「救われた」と思った。大げさな言い方かもしれないけれど、実感としてはまさに「救われた」なのである。ネット空間なんて荒んだ精神そのものであって、誹謗中傷や無責任な噂話で充満しているだけだと思っていたので、目つきの悪い不良からさりげなく親切にしてもらったような感動を覚えたのであった。五年ばかり前の話である。

 自殺しようと思い詰めるほどのヘヴィーな状況を解決してくれるような「救い」もあれば、ATMの使い方やスタバでの注文の仕方をそっと教えてくれるような「救い」もある。言葉にしてみればどちらも「救い」であるが、その重みはかなり違う。前者は文学のテーマになり得るが、後者は(たぶん)ならない。でも後者だって切実なのである。人生の色合いを大きく変えるのである。決して侮ってはならない。

 山内マリコの新刊『かわいい結婚』には三つの短篇ないし中篇が収められている。書名と同タイトルの作品には、ささやかな危機とささやかな救いとが描かれる。

 主人公のひかりは、地方都市の短大を出て地方都市のショップで働き、中学時代の同級生と結婚して地方都市で暮らす新米主婦である。昨今の地方都市だから、物質的には東京と大差はない。本当に「いいもの」はなくても、似ていてしかも安い物がある。チェーン店は地域の差を埋める。地方暮らしは何もかもがぬるい。東京に対する憧れや、背伸びをする気持ちもない。それなりに充足している。そして彼女は志が低い。「気心が知れた、究極的に安らぐグダグダの関係を、ひかりは愛する」と書かれては、読者としては苦笑いをするしかなくなってしまう。

 そんな暮らしであっても、不安はある。彼女は家事が出来ない。料理を作る代わりに夫とファミレスで食事をして誤魔化すような生活を送っている。そのことにひかりは危機感を覚えてはいる。でもどうしたらいいのか分からない。「いつどういうタイミングで、女性は当たり前のように料理をするようになるんだろうかと、ひかりは思う」。人は何らかのタイミングを首尾良く摑んで、ごく自然にATMを使えるようになったり、料理をこなしたり、自分に合った服を買ったり出来るようになるのだろう。でもそういったタイミングを摑み損ねる者だっているし、そのようなシステムは、考えようによってはこの世界に埋め込まれた大いなる秘密である。凡庸に徹することすら、実は容易でない。

 ぬるくて(表面的には)平穏で無難な生活であっても、そこには解読の必要なルールやマニュアルが保護色をまとって隠されているのだ。いまさらそれを見つけ出すのは至難の業だろう。だがひかりは強引な方法を取る。家事代行サービスの会社に赴き、見習いとなって家事全般を習得してしまおうというのだ。まさに現代的な解決法ではないか。気さくな先輩の前田さんが、厳しくも優しく「しごい」てくれる。「主婦業の基礎の基礎、誰もあえて口にしないようなことを、前田さんは面倒がらずに教えてくれた」。同時にこの小説そのものが、誰も口にしないような地方都市の生活における屈託を教えてくれる。

 書きようによっては、こうして前田さんから主婦業を伝授されてひかりが一人前の主婦になったことを以て物語を終えることも出来た筈だ。まさに感動の一篇として。しかしそこからまだ先がある。主婦としての技量を身につけた彼女は、あることに気付いてしまう。「そしてある朝、ベランダから昇る朝日を呆然と眺めながら、ひかりは気がついた。/一生ずっと、こういう日々が続くのだということに」。ここに至って物語はホラーと化す。退屈で単調な家事をただただ繰り返すだけの毎日、という恐怖に彩られたホラーに。では、ひかりはどう対処したか。

 斜め上のささやかな救い、とでも表現するしかない方法で彼女は心の安定を得る。わたしにはそれが、さながらルーブ・ゴールドバーグ・マシンみたいに思えたりさえする。いや、だからこそユーモラスな筆致が効果的ということか。

 その斜め上加減がそのまま当世のありようを反映している。世の中の何もかもがちょっと迂回したり余分な手間暇を挟み込むことで、雇用だの充実感だの達成感だの生きがいだのが作り出されていく。本末転倒の気配があるものの、誰もそれを指摘しようとしないところに今ふうのソツのない暮らし方がある。安っぽくもいじましいシステムの中で、救いもまた巧みで小振りでどこか馬鹿げたものへと変身している。

 しかも、なるほどそれは確かに文学のテーマとなり得るらしいのであった。