冥途あり

長野まゆみ

1650円(税込)

平地の民のものがたり

村田喜代子

 これは、亡父の来し方・来歴を記憶の底から探っていく話である。その父親というのは東京生まれで、亡くなったのもやはり東京だったから、たどる道筋もそれほど込み入ったものではない。通夜や葬式、火葬場を点々とはさみながら、文字職人としてきわめて穏やかな性格で、無口な人生を送って来た男の周辺が語られていく。

 ところがそんな人物には当然さしたる面白い逸話もなく、思い出は故郷の広島から若いときに東京へ出奔した祖父や、双子の男の子を産んだ叔母、怪しげな骨董売買を営むその双子の兄弟など、ワイワイガヤガヤのどこまでが本当で、どこからが噓か定かでない話が出てくる。

 変わった小説である。

 語り手の「わたし」は女性のようだが、自分から明かしているのは「大年増」であるということだけ。結婚しているふうもなく、男がいるふうでもなく、どんな生活を送っているかもわからない。そのうえ現代と過去が入り混じり、東京および関東周辺の地名が人間より濃厚に語られるので、東京不案内の九州人の私など、途中で現在地が消えかかる。

 ここがどこで今がいつか、そんなことは「わたし」には必要ないようだ。ここに明かされる重要なことは、人間よりも古い東京の地図であり、関東風土記のようである。父親の生まれた三河島は江戸時代はただの田んぼで、武蔵野台地より低い湿地帯の跡だった。この低地ということが作者の中で重要らしい。

 長い川が蛇行して、土手を上れば川は地面より高い所を流れている。父はそこで当時有名だったお化け煙突やガスタンクを遠景に見ながら暮らした。低地の町は水害が繰り返し襲い、ひとたび水が来ると川魚が玄関に泳ぎ、台所から流れ出した茶碗や鍋や酒瓶がぶつかりながら、漂い流れて行く。

 家が浸水すると住み処を替える。そうやって父の弟妹四人は生まれ番地がみな違う。定住することなく、時々の事情で転々と移り住むのが、明治以降に東京に来た庶民の暮らしだという。

 町の名も覚えず、いつのこととも覚えず読み進んで行くと、しだいに奇妙な地図のようなものが浮かび上がってくる。それは鳥瞰図のようなものだ。素朴な立体絵図で、吉田初三郎という大正から昭和半ばまで活躍した絵描きが世に出した。

 空中高く鳥の目の視点で描いた絵図は、全形の構図と縮尺が歪んで不正確だが、要所々々の山や町、川、建物は生き生きと手に取るように面白い。そんな実寸から測ると不正確でアテにならない地図が、人々を喜ばせ、もてはやされたのは、それが眼で見る極楽のようだったからである。ごちゃ混ぜの噓ばっかりのパラダイスだ。

 それを増幅させるのが双子の骨董屋で、祖父の通夜に現れた女客にまつわる怪談や、関東大震災でからくも生き残ったきり、行方不明のままの人物の話などである。

 一方「わたし」は大叔父から、うちの家系は四国の海賊だと聞いていた。昔の海賊は盗賊とは少し違う。海の武将というほうが近い(私の祖母も同じ)。

 この大叔父は富士山麓に別荘を持っていた。「わたし」が子どもの頃、別荘に行くと夜中にぼうぼうと吠える音があった。富士は休火山だがどこかで燃えているのだろう。この前の噴火は二五〇年前で、今度はいつ噴くのかはわからない。

 この鳥瞰図を見ていると、縄文時代の山がほの見えてくる。そこには昔、屈強な体軀の森の民が生きていた。狩猟採集の素朴な暮らしを営んでいた。それが稲作の出現と共に、イノシシ肉や川魚、栗、ドングリを放って、平地に降りて来たのである。

 柳田國男がかつて山の物語をして、「平地人を戦慄せしめよ」と言ったそのルーツを、私は読みながら思い出した。遡ればそんな太古にも行きかねない日本人の古層を眺めるような話ではないか。縄文といえば、この父も祖父も、大叔父も、双子の骨董屋たちも、体格が良く、大酒呑みで、どこか縄文の血を彷彿させる男たちだ。

 この一族も遥かな昔、ドングリの山から安逸な暮らしを求めて平地へ降りてきた。そして関東一円へ散らばった。父とこの家族はまたもっと低地の水浸しの土地に、どういうものか棲み着いた。

 昏い下降感覚が全編に漂よっている。

 結局、この冥途ありの鳥瞰図は、パラダイスとはならないのだ。人々は富士や浅間山など幾度も火山の巨大噴火に遭い、あるいは大地震に逃げまどった。それからさらに人間の生んだ戦争の災厄が追い打ちをかける。

 祖父の故郷は広島だった。父は昭和二〇年二月、一五歳のときに戦火を避けて広島に疎開する。爆心地から二・五キロ外れた町だった。運命の八月六日の朝、彼は爆心地近くの職場へ勤労動員で通っていたが、幸運にもこの日は休養日で家にいた。そのうえ屋内だったのでまさに命拾いした。

 傷の手当てに救護所の列に並ぶが、医者に「唾をつけておくように」と帰された。少年だった父親はその数日間の記憶が飛んで、死ぬまで原爆の体験を語ることもなく、黙々と文字職人として勤め上げて静かに死んだ。被爆者手帳も持たないままだった。

 父の葬儀で亡骸が浄められる間、家族みんなで海へ行った思い出にふける。そのとき「わたし」は父の裸の背中を眼に浮かべた。爆心地の上空で炸裂した火の玉は街を熱線で灼き尽くし、音速の爆風となって襲いかかった。

「わたし」は海水浴場で見た父の裸の背中を思い出すのだ。豆粒大の鏡がはめ込まれたように、背中はキラキラ光っていた。父はその沢山のガラス片を埋めたまま、彼岸へと渡って行ったのである。

 すべての登場人物が去り、和やかで、惨たらしい、一枚の鳥瞰図が閉じられると、辺りに濃い闇が降って来る。私にはそれがタブノキの香の立ち込める、縄文の深い闇に思えた。