静かに、ねぇ、静かに

本谷有希子

1540円(税込)

SNSに居場所を 求める人々

瀧井朝世

 芥川賞受賞作『異類婚姻譚』以来となる本谷有希子の新刊『静かに、ねぇ、静かに』は、「群像」に同名の表題で三篇が一挙掲載されたオムニバス的な作品集だ。レイモンド・カーヴァーの短篇集のタイトル『頼むから静かにしてくれ』を連想してしまうが、研ぎ澄まされ、リアリズムに基づいていながらも寓話的、どこか不穏さが漂うという点では共通しているともいえる(『頼むから~』収録の「でぶ」という短篇と同様、本作の「でぶのハッピーバースデー」にもレストランで働く女性が登場するなど、何か触発されるものがあったのでは、と思わせる)。

 三篇はどれもSNSや通販サイトなど、今時のネット文化に生活を侵略された、あるいはされそうになっている人たちの話だ。

「本当の旅」では、仲良し三人の男女のマレーシア旅行の行程が描かれる。空港に集まる際のノリから若者かと思わせておいて、後から彼らが四十歳前後だと明かして読者をドキリとさせるあたりが心憎い。語り手となるハネケンは助成金をもらい過疎村の空家に暮らし、農業とWEBデザインの兼業で細々と暮らしている。昔から憧れているづっちんに誘われ、〈価値観が揺らぐようなカルチャーショック〉を期待してクアラルンプールにやってきたものの、思いのほか都会的な光景に落胆した様子。しかしづっちんがグループラインにアップする色彩あふれる写真を見て感心し、世界の見方を教えてくれる、と素直に感動している。そう、彼らは移動中も写真を撮ってはグループラインにアップし、ホテルに到着すればすぐスマホを充電、一緒にいてもそれぞれ黙々とスマホをいじり続けているのだ。

 目の前にあるものも直視せずにスマホを通して眺め、物事を深く考えずに楽観的に解釈しているように見える彼らは、眼前で不都合が起きても、それを受け流そうとする。ネガティブなことを口にしたくないからだ。彼らが自分の恥や失敗を認めるのは、それを動画で撮ってSNSにアップして、他人事のように笑うことができたときだけだ。

 彼らの他者の都合を考慮しない、独りよがりな自己肯定感は非常に危うく見えるが、「愚かだ」と冷笑できないのは、今SNS上で見ている人々の姿勢が、限りなく彼らに近いと感じるからだ。自分に都合のよい情報しか受け入れず、不都合なことは独自の前向きな解釈をし、そして自分たちは優れていると思いたがっている。

 もちろん、SNSの楽しさを否定する気はまったくない。ただ、SNSでは独善的な居心地のいい空間を作ろうと思えば可能でも、現実は思い通りにいかない。実際に危機に直面した時にはブロックすることも、既読スルーすることもできるわけがない。ハネケンたちも予想外の出来事に遭遇するが、彼らの言動には、そうした状況下での人間の滑稽さを、かなり辛辣な展開で見せつけられる思い。馬鹿にして笑いたいけれど、自分にも、自分の周囲にも、ハネケンたちと同じ要素はあるのではないかと、どこか後ろめたく感じさせられるのだ。

「奥さん、犬は大丈夫だよね?」は、親しくもない夫の同僚の夫婦と、四人と犬一匹でキャンピングカーで旅に出ることになった〈私〉が主人公。旅といっても、少し遠出して道の駅の駐車場に車を停めて宿泊するといった程度のもの。夫婦は倹約家で工夫が好きだが、〈私〉はマイペースで自分たちに満足しきっている彼らにすぐには馴染めない。実は〈私〉はネットショッピング依存症で、夫はなんとかそれを止めさせようとしているところ。しかし出発の朝もネットで買い物したことが判明し、旅の途中だというのに夫は怒りだす……。その後、事実は明記されないが、おぞましい出来事が起きたと読者は想像できてしまう。

「でぶのハッピーバースデー」は二人ともが勤めていた会社が倒産し、ともに失業した夫婦の話だ。夫は妻を「でぶ」と呼び、自分たちがうまくいかないのは彼女の歯並びの悪さが原因であり、その「印」を消すために歯科医での治療を彼女に勧める。最初は承服しなかった妻だが、ステーキレストランの職を得て生活が好転していくうちに気分が変わり、歯列矯正のために右側の歯を四本抜くのだが、その後高熱を出して仕事を数日間休むはめになってしまって気持ちが萎え、歯科医への通院を止めてしまう。そのため、右側だけ歯の少ない妻の顔は次第にバランスを失っていく。紆余曲折を経たのち、夫が提案するのは、自分たちの「印」をネット上で発信しよう、というもの。状況は苦しく、夫婦互いに勝手な面はあるが、彼らの間にだけ存在する強固な愛情が感じられ、そこに救われる。

 ネット上に自分たちの居場所を見つけたい人々を描いた三篇。しかしタイトルからは、自分に不都合な言葉は聞きたくない、だから黙っていてくれ、そう願っているような、主人公たちの無意識下の切実な声が聞こえてくるようでもある。そんな彼らを非常に冷静に、その細部の脆さも逃さずとらえて言葉に落とし込む、著者の筆の確かさが光っている。そこに、著者の大きな変化を感じるのも確かだ。

 初期の頃からずっと、本谷有希子が描いてきたのは尋常でないほど自意識過剰で傍から見ていると痛々しく感じるような人間だった。それは今も同じである。ただ、以前は作者自身の内部に潜む自意識を自覚的に掬い上げてさらけ出しているような生々しさがあったが、ここ最近(『自分を好きになる方法』あたり)から、他人の中に潜む、当人は無自覚な自意識を手加減することなく暴く、という手法に変化してきている。だからこそ面白く、だからこそ怖くもある。己の内側を目をそらさずに直視し続けてきた作家が、他者の内側への鋭利な視点を獲得してしまったら、今後、どれほど恐ろしいことを書いてのけてしまうのだろう。いつか自分自身が打ちのめされそうで恐ろしいが、その一方で、怖いもの見たさの強い好奇心も湧き上がるのだ。