私はあなたの瞳の林檎、されど私の可愛い檸檬

舞城王太郎

どちらも1620円

恋と創造と家族と出産

陣野俊史

 小説のみならず、翻訳や漫画にまで活動領域を拡張してきた舞城王太郎の、単行本としては三年ぶりの新作が、『私はあなたの瞳の林檎』と『されど私の可愛い檸檬』の二冊。二ヵ月連続でリリースされた。

 両著に収録された小説について。『私はあなたの瞳の林檎』のテーマは「恋」。表題作以外に「ほにゃららサラダ」「僕が乗るべき遠くの列車」が収録されている。『されど私の可愛い檸檬』のほうには、表題作以外に「トロフィーワイフ」「ドナドナ不要論」の二篇を収め、テーマは「家族」。つまり、合計で六篇の小説が、「恋」と「家族」のテーマに沿って書き継がれている。

 読後感を書けば、とてもゆっくりと舞城作品を楽しんだ。飛ぶはずのない人たちがラクラクと空を飛んだり、アメリカ帰りの天才外科医が超絶的な技術でもって人体を縫合したり、破天荒な様々な事象が、切なさの延長線上に花開いていた初期の作品群に親しんできた人間にとってみれば、エキセントリックなところがほぼ影を潜め、舞城独特の文体のドライブ感によって語られる「恋」と「家族」を堪能した、ということだ。微妙な言い回しになるが、普通の小説として楽しんだ。

 よくできた普通の小説、ということでいいのならば、書評はここで終わる。だがそうではない。珍しく小説観がうかがえる小説があるので、そこを入り口にしよう。「ほにゃららサラダ」という作品。

 主人公の「私」と「ビンちゃん」と「高槻くん」は美大の一年生で、「まだアートってより人との出会いに忙しい」。芸術系の大学には面白い人がたくさんいて、それなりに刺激を受けつつ、ワークショップの展示会のために制作に没頭したりしている。「文藝科」には「高橋くん」がいて小説を書いている。「私」は高槻くんと付き合いだすが、高槻くんが「絵を描いて写真を撮って動画を公開したら再生回数が多くてイベントに呼ばれたり雑誌に取材を受けたり有名な批評家の人と対談本を出すことが決まったり」しているうちに、「私」と高槻くんの関係は微妙になってくる。それでも福井の実家に帰ったときに、十字架を作り、「お兄ちゃん」に持たせ、雪の中を歩く姿を写真に撮ると、その写真をめぐって、高槻くんが的確なコメントをくれたり、高橋くんがインスパイアされて小説を書いたりする……。と、書くと芸術に携わる若者たちの群像劇のように思われるかもしれないが、そういった芸術的心性に絶妙な距離を置く「うんこサラダ」という語が作中では使われていて、このあたり、実に舞城らしいのだが、実際に読んでみていただきたい。

 注目したいのは、小説の比較的初めのほうで、ビンちゃんが高橋くんの小説を評する場面。「あとさ、最後に『悪しき造物主』って小説を主人公が台詞で引用するじゃん?どんなやっつけ仕事であれ世界をひとつ作るんだったら想像力が不可欠だ、みたいなさ。子どもを作ることを世界創造にかけてるってのは雰囲気がいいし上手く登場人物たちの慰めにもなってるし小説世界の希望にもなってるけど、私には言い訳に読めたんだよね。主人公のってことでもあるけど、誰より書き手の高橋くんのさ。その小説に書かれてる内容とは別に、世界の創造ときたら小説を書くことにももちろん通じるじゃん?で『やっつけ仕事でも創造力ってのは働いてるもんなんだ』っていうのは自己弁護にしか聞こえないでしょ。」

 この言葉は、このあと、創作をめぐる本質的批評として、静かに小説の中に響き渡る。私は右の言葉を素通りすることができなかった。

『悪しき造物主』とは、ルーマニアからパリに移住し半世紀以上にわたって住み続けた反時代的思想家、E・M・シオランの著作のタイトルである。もちろん小説ではない。シオランはその本の中でこう主張する。悪しき造物主とは、かつて存在した中でもっとも有用な神だ、と。善なる神こそは無能であり、その代わり、悪を司る神が創造に加担するのだ。悪魔はその造物主の代理人であり、下賤な仕事を任された天使である。私たちは神の中に美徳よりも悪徳を見届け、この世になにがしかの創造を果たすのだ……とすれば、「産むことはどんなものであれ例外なく、うさん臭い」。「幸なことに、天使たちは出産には向いていない」……。シオランは「創造」とか「出産」に痛罵の言葉を投げつける。「人間をもおかまいなしに造物主めいたものに仕立て上げてしまう」「出産」を「災厄」と断じるのだ。

「創造」と「出産」に対する呪詛の言葉は、舞城の小説において(ひとまず)遠ざけられる。だが、はたしてそうか。

「ドナドナ不要論」を読んでみる。

 冒頭、あの「ドナドナ」の悲しい歌に言及がある。「歌われている光景は哀しく、想像する子牛の気持ちは悲しい」と書かれる。主人公の「智」は、あの歌の悲しみに複雑な思いを抱いている。そうこうするうちに、智の妻の椋子が膵臓癌になる。かなり厳しい手術をなんとか乗り切る。家に戻ってきた椋子は、娘の「穂のか」(四歳)と暮らしたくない、と言い出す。穂のかが一度も見舞いに来なかったことに憤っている。椋子の母親、つまり穂のかの祖母が、衰弱した椋子を孫に見せたくないという配慮から、穂のかは病院に行かなかったのだが、椋子はそれを斟酌することができない。椋子は別人になっている。

 家族は形を変えなければならない。変えざるを得ない。出産し、家族として形を得ても、悲しみに塗り込められることが起こるかもしれない。シオランならば、そらみたことか、子を産むことは災厄なのだ、と言っただろうか。だが、舞城は、シオラン流の皮肉に敢然と反論する。悲しいという感情だけで終わらせてはならない、と小説を転換するのである。「この世にかなしみはたくさんある。だからかなしみを歌うべきなんだ」と書き換え、「ドナドナ」へとループする。小説に一瞬、光明が差し込む。素晴らしい。

「ゆきてかえりし物語」といえばJ・R・R・トールキンのファンタジー小説『ホビット』の副題だが、行って帰ってくる物語とはようするに旅のことだ。
『前立腺歌日記』は、前立腺ガンを宣告された初老の男が、手術とリハビリと放射線治療を経験した後、日常生活に戻るまでの旅を物語る一冊である。「僕」と名乗る語り手は著者に瓜二つだから私小説のように読めるし、治療の段取りが詳細に描かれているので、闘病記の系譜に連なるノンフィクションとして読んでも差し支えないだろう。
 ただし、これは「歌日記」なので、散文の合間に詩篇がひんぱんに差し挟まれる。自作の詩が多いが、万葉集、和泉式部、高浜虚子から新川和江にいたる日本語詩や、シェークスピア、ランボー、T・S・エリオットなどの詩も邦訳で登場する。日々の報告を語る「僕」の文章に詩行が挿入されると、個人の経験がにわかに隠喩へと変容するかのようだ。読み進むうちに、芭蕉の『奥の細道』、ダンテの『神曲』、紀貫之の『土佐日記』、トーマス・マンの『魔の山』などが物語を下支えする構造も見えてくる。思えばどれも、行って帰ってくる隠喩的な旅を描いた書物ばかりである。
 ミュンヘン在住の「私」が語る物語の発端は一年前にさかのぼる。熊野古道を徒歩旅行したとき、中学生の頃に部活で痛めた膝関節の軟骨に負担がかかって痛みが再発した。ドイツに戻って医者へ行き、ついでに受けた血液検査がきっかけで前立腺ガンを早期に見つけることができた。
 この病気にかかりやすい傾向が父祖たちにあったことを知る「私」は、発病を「気の遠くなるほどの過去からの贈り物」ととらえ、前立腺全摘の手術を受けることを決める。そこまでが「奥の細道・前立腺」と題された第一章で、「尿道カテーテルをつけたまま詩が書けるか?」を問う第二章は、入院してから退院するまでの経緯を語る。入院生活のなかで気取らぬ生き方を学んだ「僕」(第二章から一人称が変わる)は、「これからは、どんな時でも、誰の前でも、胸の前におしっこ袋をぶら下げているつもりで生きてゆこう」と決意する。初老の男が人生の初心を取り戻す瞬間の描写が感動的だ。
 だがじつは、「尿道カテーテルをつけたまま書いた詩」と題された既出の詩(『現代詩手帖』、二〇一七年一月号)があって、その末尾に同じ決意が語られている。詩で語ったことをあえて散文で語り直すのはなぜだろうか。その理由はたぶん、『前立腺歌日記』に秘められた詩と散文の融合をめざそうとする意図とリンクしている。
 著者はかつて、「初めに言葉・力ありき」と題された講演(評論集『詩人たちよ!』所収)で、ダンテ、芭蕉、マンの文学を縦横に比較しながら、行為と言語の対立と協力関係について論じたことがある。四元は、『神曲』においては言葉と行為が対立せず、「無邪気なばかりに睦まじい関係を結んで」いるのに気づき、「詩人の操る特殊な力に満ちた言葉」によって、行為=現実が「固有性の世界」から「普遍的な世界、永遠の高み」へと導かれているのを発見した。
 なるほど、『前立腺歌日記』は、散文的な行為の世界と詩の言語が誘い込む永遠・普遍の世界とを調和させようとする実験場なのだ。
 手術後のリハビリのために滞在した療養所での暮らしが描かれた第三章「シェーデル日記」は現代版の『魔の山』であり、病院の地下にある放射線科へ通った経験を語る第四章「わが神曲・放射線」には、ダンテの地獄篇をもじった世界が描かれる。そして、先述の詩論において、中原中也の詩と井筒俊彦の言語哲学を参照しながら、「根源的絶対無分節の世界」「一にして無限な混沌宇宙」などと表現されていた、詩の言葉が向かうべき「意識の深層」は、本作では「クオリア」と言い換えられている。クオリアとは「赤ならば赤の『赤さ』そのものの質感」のことで、その出所について人間は何も知らないものの、「意識のクオリア」こそ「僕という存在の本質」ではないか、と語り手は考えるのである。
「終章 春雨コーダ」では一人称が「私」に戻る。第二章から第四章までの「僕」が渦中の語り手だったとすれば、「私」は発病から回復にいたる「ゆきてかえりし物語」を丸ごと見渡せる場所に立っている。三十五回にわたる放射線治療を終えて、地下から地上へ出た彼は、そこが「私の煉獄」だと気づく。
 今、新たな旅に出た「私」は来し方を顧みて、自分は「いつも何かを待ちながら生きてきた」とつぶやく。そして、「私は詩に憧れ、いつの日か自分の言葉の指先がそれに触れることを夢見た」が、「詩だけに満足することもできなかった」ので、「現世的な歓びを追い求め」、「ひとりの娘」と結ばれたことを語る。これ以上せんじ詰めることは不可能と思われる自叙伝が綴られたこのパラグラフにおいて、著者によく似た「私」は詩と現実、あるいは言葉と行為のあいだに折り合いをつけようとしてきた人生を振り返っている。
 終章の終わり近く、ミュンヘンからの旅の途上にストラスブールで下車した「私」は、大聖堂の隣の美術館を訪れて、かつて岳父とここを訪れたときの時間を生きなおす。美術館を出て、運河のほとりを歩き出したときには死者たちの思い出が胸中に押し寄せてくる。「私」は街中の「こぢんまりした教会」へ入り、合唱を聴く。合唱隊は「脳の中の、神経細胞の先端の、微小管の内部の素粒子を自己収縮させて、自分だけのクオリアを外界に照射して」いる。「私」はこの瞬間、ダンテそのひとを生きているかのようだ。合唱の声が響き合う、調和の世界に身を委ねる語り手は、比類のない天上の音楽の只中にある。
 病を得た経験をもとにして本作を書いた四元は、ダンテと同じくみずからを著者、作中人物(僕)、全知の語り手(私)の三人に振り分けつつ統合して、「歌日記」を広げてみせる。世界文学への愛と真摯な詩論に裏付けされた本作により、歌と物語を融合する古い器に新しい可能性がつけくわえられた。