人外

松浦寿輝

2300円

小説は四本足で

小山田浩子

「わたしたちはいつごろからかたぶん地中にいて、あるときふとアラカシの根のさきのほそいひげ根から吸いあげられ、樹液に溶けこんでその幹の内部をうえへうえへ、しずしずと、じりじりと、とろりとろりとのぼっていったのだろう。」アラカシは雑木林や公園などでよく見かける常緑樹で、横縞帽子の小ぶりなどんぐりが実る。液体のような粘液のような意識の集合のようなものらしい「わたしたち」は、身じろぎをしてアラカシの木の股のところから「ずるりと滲みだし地面にぽとりと落ち」る。雨粒、残照、暗さを感じているうち「外界のとも意識のともつかぬその薄明のただなかにアラカシだのエダだのイシキだのといったコトバが点滅し、ウエ、シタ、クサ、ソラ、(略)といったふうにコトバのむれが増殖していき、さらにサムイ、サムクナイ(略)カゼガフイテイルなどというコトバも浮かび、それらが意識の地の部分にしずかに染みこんでいくにつれてコトバそれじたいが意識になり意識それじたいがコトバになり、そのコトバをつかってわたしたちはワタシタチ│とかんがえてみた。」わたしたちは言葉を得、言葉は増殖する。それと同時に徐々に体の形は定まり脚が毛が生え水かきが生じねこにもかわうそにもあなぐまにも似た四つ足の獣となって這い歩き走り泳ぎ旅を始める。わたしたちの中には「記憶のなかからよみがえってくる残響や残り香や残像」があり、それが時折意識の中に立ち現れる。子供だったり恋人だったり母親だったり楽しかったり悲しかったり不安だったり幸福だったりする……どうやら、わたしたちはかつて人だった者たちの記憶や意識の集合であるらしい。とはいえ、わたしたちはもはや人ではない。わたしたちは自らを「人外」というものだと認識する。わたしたちは「かれに追いつかなければならない」と思っている。切迫感や焦燥感をともない激しく、しかし「かれ」が誰なのかはわからない。「かつてはヒトだったけれどもいまではヒトではない人外が、過去を想起し未来を予見しながらいまからいまへと飛びうつりつつこの世界をよこぎって」かれを探す旅が、本書では語られる。

 人外は川を泳ぎ到着した集落のそばで幼い男の子の死骸を見つける。生者からは石を投げられ、それを逃れ歩むうちらせん(対数らせんと呼ばれる、巻き貝など自然界でよく見られる形)状の石段をのぼっていることに気づく。らせんの無限さの不毛さと安らぎを思いつつのぼり詰めた最後にある小屋に住んでいるのは見張り番の老人で、彼は自分の仕事は辺りを見回して異常があったら電話で知らせることだと言うが、実際になにかを誰かに報告したことはないとも言う。人外は彼の収集品を見せてもらう。ブリキの観覧車、三角プリズム……人外は老人に「あなたはもうすぐ死ぬんだね」と語りかける。老人はほどなく本当に死に、わたしたちのひとりとなる。人外は海へゆき列車に乗り地下へおりまたのぼり町へゆき旅を続ける。世界は未来のようだが過去のようでもありどこの国ともわからない。人外は幾人かの人と言葉をかわす。偽哲学者や司書……過去を思い出し未来を予見しさまざまなことを考える人外が彼らからの問いかけに答える言葉は、どこか誰もが頭の中でくゆらせたことのあるひとり会話のような趣を帯びもする。

 意識のようなもの、もともとどろりと混じり合い曖昧な無数の「わたしたち」が不意に身じろぎして凝固しまず言葉を得、おずおずと形を定め、進み出したものが人外……それは何かに似ている、まるで小説ではないか。記憶や言葉が凝り連なり生まれいつしか動き出し……小説というのはなんでもいいなんでもあり、でも、なにかではある。それは主題とかテーマとかでは無論なく、なにと名指しできるならそもそも小説なんて書かれる必要がない、でもたしかにそこにあるなにか、人外もまさにそういうものだ。読書は自分との対話でもある。つまり本作は小説が旅をする小説なのではないか。

 たどり着いた遊園地で少女に出会い、一緒に(見張り番のブリキのおもちゃを思わせる)観覧車に乗り水族館に入る。人外は水の中で新たな人外「あの子」が生まれるのを目撃する。「過去と現在と未来のかけらたちのすべてが蝟集し凝集し、ちいさくちいさくちぢこまってゆき、そのちぢこまったものがある瞬間不意にふわりとやわらかな羅のようにほどかれた。」本作でとりわけ圧倒されるのは人外(語り手とあの子)の二つの誕生シーン(冒頭とここ)で、曖昧に鮮明で言葉以外では描写できないような、それはまさに、一つの小説が生まれ立ちあがることの、おそらく作者にもそれがどうしてなのかなぜいまなのかここなのか完全にはわかりきらないようなおののきを描いているからではないだろうか。いとまきえいに似て同時にうみがめやくらげにも似た「あの子」が横溢する水の中を泳いで旅立つのを見て人外は旅をする必要はもうないのかもしれないと思い、でも結局続け、さまざまなところへゆきさまざまなものを見、しかしかれは見つからず老いてゆき、そして「かれが、いまついにわたしたちとともにある。」と気づいたとき、人外の目は見えなくなり体は動かなくなり言葉は失われていっている。人外はおそらく死に小説は終わろうとしているその「最後の最後になって、ことごとくうすれて消え失せてしまったかに見えたコトバの、ほんのちいさなちいさな切れっぱしがとつぜんかすかによみがえってきて」それが、小説の冒頭つまり人外の、あるいは「あの子」の誕生を思わせて小さく揺れ、さざ波が立ち、増幅し、どんどん増えいつしか旋律となり響き合い、しかしそれも消えていき、無が残り……しかし、いつしか、凝ってゆらいだ意識が言葉が凝集してゆきそこから、また、どこかから、新しい宇宙がつまり新たな人外がすなわち小説が、生まれていくのだ。

「ゆきてかえりし物語」といえばJ・R・R・トールキンのファンタジー小説『ホビット』の副題だが、行って帰ってくる物語とはようするに旅のことだ。
『前立腺歌日記』は、前立腺ガンを宣告された初老の男が、手術とリハビリと放射線治療を経験した後、日常生活に戻るまでの旅を物語る一冊である。「僕」と名乗る語り手は著者に瓜二つだから私小説のように読めるし、治療の段取りが詳細に描かれているので、闘病記の系譜に連なるノンフィクションとして読んでも差し支えないだろう。
 ただし、これは「歌日記」なので、散文の合間に詩篇がひんぱんに差し挟まれる。自作の詩が多いが、万葉集、和泉式部、高浜虚子から新川和江にいたる日本語詩や、シェークスピア、ランボー、T・S・エリオットなどの詩も邦訳で登場する。日々の報告を語る「僕」の文章に詩行が挿入されると、個人の経験がにわかに隠喩へと変容するかのようだ。読み進むうちに、芭蕉の『奥の細道』、ダンテの『神曲』、紀貫之の『土佐日記』、トーマス・マンの『魔の山』などが物語を下支えする構造も見えてくる。思えばどれも、行って帰ってくる隠喩的な旅を描いた書物ばかりである。
 ミュンヘン在住の「私」が語る物語の発端は一年前にさかのぼる。熊野古道を徒歩旅行したとき、中学生の頃に部活で痛めた膝関節の軟骨に負担がかかって痛みが再発した。ドイツに戻って医者へ行き、ついでに受けた血液検査がきっかけで前立腺ガンを早期に見つけることができた。
 この病気にかかりやすい傾向が父祖たちにあったことを知る「私」は、発病を「気の遠くなるほどの過去からの贈り物」ととらえ、前立腺全摘の手術を受けることを決める。そこまでが「奥の細道・前立腺」と題された第一章で、「尿道カテーテルをつけたまま詩が書けるか?」を問う第二章は、入院してから退院するまでの経緯を語る。入院生活のなかで気取らぬ生き方を学んだ「僕」(第二章から一人称が変わる)は、「これからは、どんな時でも、誰の前でも、胸の前におしっこ袋をぶら下げているつもりで生きてゆこう」と決意する。初老の男が人生の初心を取り戻す瞬間の描写が感動的だ。
 だがじつは、「尿道カテーテルをつけたまま書いた詩」と題された既出の詩(『現代詩手帖』、二〇一七年一月号)があって、その末尾に同じ決意が語られている。詩で語ったことをあえて散文で語り直すのはなぜだろうか。その理由はたぶん、『前立腺歌日記』に秘められた詩と散文の融合をめざそうとする意図とリンクしている。
 著者はかつて、「初めに言葉・力ありき」と題された講演(評論集『詩人たちよ!』所収)で、ダンテ、芭蕉、マンの文学を縦横に比較しながら、行為と言語の対立と協力関係について論じたことがある。四元は、『神曲』においては言葉と行為が対立せず、「無邪気なばかりに睦まじい関係を結んで」いるのに気づき、「詩人の操る特殊な力に満ちた言葉」によって、行為=現実が「固有性の世界」から「普遍的な世界、永遠の高み」へと導かれているのを発見した。
 なるほど、『前立腺歌日記』は、散文的な行為の世界と詩の言語が誘い込む永遠・普遍の世界とを調和させようとする実験場なのだ。
 手術後のリハビリのために滞在した療養所での暮らしが描かれた第三章「シェーデル日記」は現代版の『魔の山』であり、病院の地下にある放射線科へ通った経験を語る第四章「わが神曲・放射線」には、ダンテの地獄篇をもじった世界が描かれる。そして、先述の詩論において、中原中也の詩と井筒俊彦の言語哲学を参照しながら、「根源的絶対無分節の世界」「一にして無限な混沌宇宙」などと表現されていた、詩の言葉が向かうべき「意識の深層」は、本作では「クオリア」と言い換えられている。クオリアとは「赤ならば赤の『赤さ』そのものの質感」のことで、その出所について人間は何も知らないものの、「意識のクオリア」こそ「僕という存在の本質」ではないか、と語り手は考えるのである。
「終章 春雨コーダ」では一人称が「私」に戻る。第二章から第四章までの「僕」が渦中の語り手だったとすれば、「私」は発病から回復にいたる「ゆきてかえりし物語」を丸ごと見渡せる場所に立っている。三十五回にわたる放射線治療を終えて、地下から地上へ出た彼は、そこが「私の煉獄」だと気づく。
 今、新たな旅に出た「私」は来し方を顧みて、自分は「いつも何かを待ちながら生きてきた」とつぶやく。そして、「私は詩に憧れ、いつの日か自分の言葉の指先がそれに触れることを夢見た」が、「詩だけに満足することもできなかった」ので、「現世的な歓びを追い求め」、「ひとりの娘」と結ばれたことを語る。これ以上せんじ詰めることは不可能と思われる自叙伝が綴られたこのパラグラフにおいて、著者によく似た「私」は詩と現実、あるいは言葉と行為のあいだに折り合いをつけようとしてきた人生を振り返っている。
 終章の終わり近く、ミュンヘンからの旅の途上にストラスブールで下車した「私」は、大聖堂の隣の美術館を訪れて、かつて岳父とここを訪れたときの時間を生きなおす。美術館を出て、運河のほとりを歩き出したときには死者たちの思い出が胸中に押し寄せてくる。「私」は街中の「こぢんまりした教会」へ入り、合唱を聴く。合唱隊は「脳の中の、神経細胞の先端の、微小管の内部の素粒子を自己収縮させて、自分だけのクオリアを外界に照射して」いる。「私」はこの瞬間、ダンテそのひとを生きているかのようだ。合唱の声が響き合う、調和の世界に身を委ねる語り手は、比類のない天上の音楽の只中にある。
 病を得た経験をもとにして本作を書いた四元は、ダンテと同じくみずからを著者、作中人物(僕)、全知の語り手(私)の三人に振り分けつつ統合して、「歌日記」を広げてみせる。世界文学への愛と真摯な詩論に裏付けされた本作により、歌と物語を融合する古い器に新しい可能性がつけくわえられた。