壺中に天あり獣あり

金子 薫

1760円(税込)

光の迷宮

青木淳悟

そこにもだいぶ無機質な迷宮を見いだせるからといって、例えば当時ヒットした映画『キューブ』(1997年)などを再視聴している場合ではない(そもそも「ジャンル」が違う?)。あるいは本書の内容から、昔からある「3Dダンジョン(ゲーム)」の類いか、近年ブームの「脱出ゲーム」でも連想するところかもしれないが、そこまで謎解きの要素があるわけではない。

 ともあれ映画なりゲームなりアトラクションで、そこに視覚化された迷宮がどんな構造のものだったか、無闇とそう比較の対象を探そうとしているあたり、早くもこの小説にペースを握られている証拠かもしれない。

 これは迷宮を舞台とした異様な小説である。しかも舞台である迷宮それ自体を考察の対象としつつ、さらに「外部がないこと」について、本当にじっくりと考えられる(させられる)のが、本作がすでに設定上で有しているともいうべき強味なのではないか。

 およそ迷宮を舞台とする多くのジャンルにわたる作品では、登場人物たちはそれ相応の切迫した状況下をサバイバルすることを強いられる。本作もご多分に漏れず、作中の人間はみな過去を消し去られたままそこに存在しているらしく、主人公の光は、どこかへと通じるはずの扉を探して、無限大に延長された廊下を延々移動し続ける。

 常に薄暗い照明の絨毯敷きの廊下と、壁に沿って並ぶ破線のような足元灯。無数の施錠された客室の扉と、無施錠で宿泊可能な客室群。それらが螺旋階段で連絡し、やはり無数に階層を成しているという。そこは「ホテルのような」という比喩が意味を持ちえないホテルそのものの空間であり、何か劇的な展開を予防しているかのごとく、生活上に支障のない程度にホテルとしての機能を備えている。ベッドルーム。浴室。バー。

 仮に人間から想像力を奪い去ろうとする巨大な装置だったとしても、ホテル内で日々を過ごすのだとは、少なくともサバイバルという方面ではあまり展開を望めそうにない。外界へと通じる窓はおろか、外部環境による変化や刺激は皆無で、時間の経過を知る術さえ失われている。こうした場に、共同生活とも呼びがたい住人たちがまばらに存在し、彼らと奇妙に熱のない会話を交わしたあと、光はまた単調な冒険すなわち移動を続ける。

 ところで作品内での日常性に通じる生活リズムがつかめてきたあたりで、実のところ冒頭からずっと脳裏に張りついている一つの疑念については、一向に答えらしきものが見いだせないことに気づくのだった。

 そもそもの一行目、書き出し部分に「言葉によって造られる迷宮」と、究極的な表現であっさりと一度底を割りつつ、外側にあるもの(あるいは「何もない」こと)を見せておいてから、作品内に閉じた世界を構築するという文学的な冒険でもあったわけだから。またその「言葉によって造られる迷宮のなか」、主人公の光は「譬えを完成させるべく幽閉されて」いる存在だと、小説の登場人物としての作為性について予め読者に断ることさえしているのだ。

 どこを見てもあまり無機質であるためなのか、頻出する人名「光」が、無色透明の光線自体を意味するようにも錯覚されてくる。例えば小説の構成要素が極度に切り詰められた結果、主体から実在性が失われ、空間内を彷徨する運動体にでも変容してしまったかのような……?

 光の迷宮についての言及/思考/描写とは、作中から拾えばこうしたものである。

「……建物は前進と後退の区別もつかぬように設計されているが、何らかの結末に辿り着くにせよ、堂々巡りを続けるにせよ、見かけの前進を続ける外に選択肢はない。」

「どこかに窓あるいは出口があって外界が見えたとしても、それは外を模して造られた内部であるに違いない。外というより内の内、外界そっくりに造られた広い中庭の類いであるだろう。」

 暗示的内容は作中にいくらでも見いだせるが、迷宮をあてどなく移動しつつも、主体が主体的にではなく迷宮それ自体によって「無限」なり「外部」なりを想像する、いわば受動性が思考を自由にするかのような感触が、読んでいて興味の尽きないところだった。

 それは寓話的ではあっても、決して生易しいお伽噺であるわけがない。もう一方のヒロインである言海が、ホテルの一角で玩具屋を営み、発条仕掛けのブリキの動物の修理改造を事とし、光とは対照的に日々の充足感を得ているとしても、道具立てからしてやはり無機物の城たる迷宮の住人であって、小さな抵抗のようだと思えてならない。また余計な連想ながら、その人名を言海と読めば、近代日本で最初に編纂された国語辞典であった。

 やがて筆者であるこの私は、幻惑されひたすらに作品に没頭しつつも、素直といえば素直な反応として、無意識のうちに迷宮の閉鎖感に抵抗しようとしていたのである(なお私は、精神が活性化していると、連日連夜悪夢らしきものを見るようになるのですが、みなさんはどうですか?)。

 その日見た夢。夢が気ままに夢見たような、それでいて対抗手段を打ち出してきたようにも感じられたのだが、……私はそこに或るお堂を発見し、洋風ホテルでは味わえそうにない板敷きの室内空間を家族で占拠していた。この住居のカテゴリーを無視したような行為を痛快がる一方で、なぜか家財道具一式を公共空間である表の廊下に投げ出すように置いており、これは違反行為であるらしく、後ろめたい気持ちで通行人の目を気にしながら物の出し入れなどをしている。こんな定住することへの意欲が対抗手段なのだ。私はなぜかそこで一言喚いた。

「……(生活が?)中途半端なんだよ!」

 自堕落な生活を肯定し実践することが迷宮の完全性に疵をつける、とでも主張しようとしたのかどうか。これがしかし、一枚の貼り紙によって的確に否定される。

「告発」「ここは公共の場で云々……」「迷惑ですので、即時、物を移動して下さい!」