地上生活者 第6部 最後の試み

李 恢成

3960円(税込)

「在日」として、 書かねばならない小説

金ヨンロン

「私」を書いた小説が大長編になり、個人史を反芻したことで世界史をおのずと描いてしまったならば、その生は波乱に満ちたものであったに違いない。だが、そのような生を送った作家であったからこそ、「私小説的全体小説」という壮大な構想をし、実現することができたのだろう。日本が敗戦する一〇年前に樺太(サハリン)の真岡で朝鮮人として生まれ、戦争が終わってから日本に引き揚げてきて「在日」となった小説家・李恢成。『地上生活者』は、五〇年を越えた作家生活の後半の、二〇年の歳月をかけて書かれ、そして未だ書かれつづけている小説である。本書は、その第6部「最後の試み」である。

 本書全体を支配するのは、語り手「ぼく愚哲」の、小説を書かねばならないという焦燥感である。だが、読者は直ちにこの設定が孕む矛盾に気づかされるはずだ。作中の「ぼく愚哲」は、「私小説的全体小説」を夢見ながらもそれを書けずにいるが、作家・李恢成は現にその小説を書いているからである。「ぼく愚哲」がしばしば「ぼく」と「愚哲」とで分離し、不安定な語りの場を創り上げるように、この自伝的小説における語り手と作家との関係も常に揺れ動く。他の登場人物も実名のままか、漢字を変えていてもモデルが判明できるようになっており(ここでは実名のみ表記)、フィクションと現実との境界が周到に操作されている。

「ぼく愚哲」が書きたい小説とはどのようなものか。一言でいえば、それは「在日」として書かねばならない小説である。その中身については、「ぼく愚哲」はまだ書けずにいるのだから、現在ではすでに書かれた本書からその内容を推定してみるしかない。

「ぼく愚哲」が書きたい小説は、日本と朝鮮の近代化を再考するようなものではなかったか。本書は、二〇一四年四月のある日、かぞえ八〇歳の「ぼく愚哲」が家族とともに富岡製糸場に訪れるところから始まる。明治初期に建てられたフランス式の製糸工場から近代日本の始まりを凝視する彼は、「朝鮮に資本主義の萌芽はあったのかなかったのか」という問いを立てて思考をめぐらせる。その延長線上にある第二章では、甲申政変(一八八四年)に失敗して日本に亡命した金玉均と福澤諭吉の交流、近代化への取り組み方が描かれる一方で、上海で金玉均を暗殺した洪鍾宇の生が並置される。このように「ぼく愚哲」には、自らの歴史的考察にもとづいて、日本と朝鮮の近代史を生々しく再現するという構想があったかもしれない。

 さらに「ぼく愚哲」は、「在日」による文学史の再編を試みたかったのではなかろうか。とりわけ彼がこだわるのは、世界のなかに「在日」文学者を位置づけることであり、在日同胞のために新しい民衆文芸誌を立ち上げることである。切掛けは、一九八〇年代に西ドイツや広島などで開かれた一連の国際集会・文学者会議に、「在日」として参加した経験である。そこで彼は「在日」として世界の動きにつながっていく必要性を痛感し、南北に分断された祖国の現実のみならず、日本に定住している「外国人」として向き合うべき環境問題や核問題を考えはじめる。そうした過程で「ぼく愚哲」は、大江健三郎をはじめ、堀田善衞、小田実、野間宏、有吉佐和子など多くの日本の作家たちと交流する一方で、厳しい政治状況に置かれた韓国の作家たちとも出会う。光州事件の後にアメリカに逃げていた黄晳暎が帰国の途中に立ち寄った日本で行った活動、韓国民主化闘争と金芝河の動向、『糞地』を書いた南廷賢、朴正煕維新体制と対立して大学から除籍され、パリでタクシードライバーをしている洪世和との会話が挿入される。こうした世界情勢と結び付けながら日本と朝鮮半島の文学者達を横断的に語る文学史の再編成を、「在日」の「ぼく愚哲」は考えていたと想定できる。

「在日」の観点から捉え直す歴史と文学史に加えて、「ぼく愚哲」が書くべき小説には家族史も入ってくるはずだ。本書では、「ぼく愚哲」と恋人・安淑伊との関係によって崩壊しつつある家のドラマが、息子たちの反抗や民族学校の問題などを交えながら展開される。「在日として生きる」ことを強調しても「オレはオレ」と答える次男を見ながら、「ぼく愚哲」は父との過去を振り返る。この「家」には、「在日」の各世代の歴史が刻印されているのである。

 以上のようにまとめると、「ぼく愚哲」が書きたい小説は、「在日」として書かねばならないというより、「在日」しか書けないもののように思える。しかし、それを書くことは容易ではなく、本書にはその困難も暗示されている。ヒントになるのは、本書の中盤、章のタイトルにもなっている中野重治の短編「小説の書けぬ小説家」である。この小説は、戦時中の激しい言論弾圧のために書きたいことが書けない小説家の話であり、書けない部分を空白のままにすることで読者の想像力を促すような方法を取っている。「ぼく愚哲」がこの方法論を受け継いでいるのは確かだ。ソ連領のサハリンに残された朝鮮人たち、共和国に戻っていかねばならない「北の工作者」、独裁政権下の韓国で闘っている人々たちの立場を考えて、「ぼく愚哲」は「ありのままに」書くことができない。それでも彼は、「頭をめぐらし、仕掛けはつくっておいた」と述べている。この「仕掛け」を工夫することで書けない状況を書き記し、読者の参与に期待する方法こそ、中野重治が戦時中に試みたものである。

 こうしてでも「ぼく愚哲」は、「在日」として書かねばならない。書かないと誰にも知られないまま消えていく人々と、その歴史があるからだ。この「懐かしい人びと」を、現在進行形の小説のなかで生かし、永遠に保存せねばならない。