三木 卓

1650円(税込)

A?と驚く夫婦の姿

平田俊子

「ぼくも、昔、方南町に住んでいたんだよ」と三木卓さんがおっしゃった。六年前、駒場の日本近代文学館の朗読会でご一緒したときのことだ。その頃わたしは方南町に住んでいたが、方南町がどこにあるか知っている人は少なかったし、住んでいた人に会うことはまれだった。敬愛する先輩がもと方南町の住人と知ってわたしは嬉しくなった。「いつ頃のお話ですか」「ずいぶん前だなあ。結婚して間もない頃だったから」詩人として大先輩の三木さんは方南町の大先輩でもあったのだ。

 そういえば三木さんには『東京環七』という詩がある。「環状七号線は美しい広い道路/環状七号線は首都の大動脈/(略)/環状七号線が殺したこどもは数多く/環状七号線は住民に酸素ボンベを買わせた」環状七号線は方南町の駅周辺をまっぷたつに切り裂くように、南北に走っている。片側三車線の道を車がひっきりなしに駆け抜ける。交通量は今も激しいが、三木さんがこの詩を書いた高度成長期は交通事故や排気ガスによる大気汚染が問題になっていたはずだ。

 家の外は危険でも、三木さんの新婚生活は満ち足りていたに違いない。三木さんはいつもにこやかな顔をしておられる。楽しいお話ばかりなさるので、聞いているとつい笑ってしまう。三木さんは家庭では理想の夫、理想の父親に違いない。離婚直後に方南町で暮らし始めたわたしは、幸せそのものだったであろう三木さんの新婚生活を思い描いて羨ましく思った。

 近代文学館でお会いした翌年(07年)のこと。野木京子さんたちの同人詩誌「スーハ!」を開くと、詩人・福井桂子さんの特集が組まれていた。福井さんは三木さんの妻であること、数年前から大病を患っておられることをわたしは同誌のインタビューで初めて知った。愕然とした。妻が深刻な病気を抱えているのに、前年お会いした三木さんはいつもと変わらず朗らかだった。苦しみに耐えておられたのかと思うと胸が痛んだ。それからほどなく福井桂子さんの訃報を聞いた。

 その二年後、『福井桂子全詩集』を頂戴した。福井さんが生前出された七冊の詩集や童話、エッセイなどを収めた六百ページあまりの本だった。立派な函に入った、美しく上品な本。福井桂子の詩人としての生涯を残そうとする三木さんに、妻への深い愛情を感じた。最後まで心を通わせた夫婦なのだろうと思った。

 ところが、である。今年の一月、「群像」に掲載された「K」を読んでわたしは仰天した。福井さんと三木さんが出会い、結婚し、福井さんが亡くなるまでの歳月が克明に「K」には綴られていた。タイトルの「K」は桂子さんのことだ。わたしが思い描いていた幸せな三木家は、がらがらと音を立てて崩れていった。何なのだ、この夫婦は。よく離婚せずにこられたものだ。方南町に住んでいた頃からすでに、二人の関係は危機を孕んでいた。環七よりも家の中のほうがよほど危うい場所だったのだ。

 娘が生まれ、亀戸の公団住宅に引っ越し、さらに鎌倉に転居したあとも事態は好転しない。五十九歳のとき三木さんは心筋梗塞を患って手術を受ける。やがて回復し、残り時間を意識しながら仕事に打ち込むようになる。そんなある日、仕事場として借りている部屋に妻から電話があり、もう自宅に帰ってこないようにいわれる。こんなひどい話があるだろうか。三木さんが妻の申し出をあっさり受け容れるのも不思議である。

 福井さんは青森の裕福な商家に生まれ育った。三木さんは戦後中国から引き揚げてこられ、助産師の母親に育てられた。二人は同い年でどちらも若い頃から文学を愛し、文学を志して歩んできた。二人の類似点と相違点が複雑に作用して、夫婦関係を軋ませる。

 わたしは福井さんとは面識がないし、三木さんの作品は愛読してきたから三木さんに味方しながら「K」を読んだ。そして福井さんの身勝手さに憤りを覚えた。ところが時間がたつうちに考えが変わった。夫の詩も小説も世間に認められ、次々に文学賞を受賞して文名は高まっていく。自分も詩を書いているのに詩集を出すことさえままならない。そんなことが続けば平静でいられなくなるのも無理はない。夫に嫉妬し、苦しめたくなるのも頷ける。

 同じような境遇にあった高村智恵子は精神を病み、千葉で療養したり精神病院に入院したりする。そうすることで視界から夫の光太郎を追い出した。福井桂子の場合、自分が家を占領して夫を追い出した。ストレスの原因である夫を視界に入れないことで、精神のバランスを保とうとしたのかもしれない。わたしが福井さんの立場でも同じようにしたかもしれない。「私はあまり『智恵子抄』には感激しませんでしたね。智恵子は千鳥になった、それはいいけど、光太郎はあまり好きになれませんでしたね」「スーハ!」のインタビューで福井さんはこういっている。東北の裕福な家に生まれ、東京の女子大に進んだ智恵子に自分を重ねていたのだろうか。夫の才能に押しつぶされた智恵子に感じるところがあったのだろうか。

 福井桂子の詩には娘や夫らしき人はあまり見当たらない。目を惹くのは「天使」や「童子」という言葉だ。六歳まで里子に出され、実家に戻ったあと大勢のきょうだいの間で自分の居場所を見つけられなかった福井桂子。詩を書きながら福井さんは子ども時代を生き直そうとしたのではないか。娘や夫が入ってこれない場所で自分を立て直そうとしたのではないか。詩に救いを求めたのは三木卓よりも福井桂子のほうだったかもしれない。

 夫婦のどちらがいいも悪いもない。血やら涙やらいろいろなものを流しながら双方がやっていくしかない。「K」はある夫婦の真剣勝負の生の記録のようにわたしには思えた。