ウォーク・イン・クローゼット

綿矢りさ

定価(税別):1,400円

クローゼットの向こうには

小林エリカ

 クローゼットの中の洋服を全部部屋にぶちまけて、あれでもないこれでもないと私はしばしばすっぴん半裸で駆け回ることがあるのだが、そんな自分の姿は必死以外の何物でもない。はたから見れば滑稽かもしれないが、こちらは本気である。

 万一テレビやファッション雑誌に出るなんてことがあればとびきり緊張するし、気合の入ったデートでなくても誰かと一緒に食事するというだけで震えるし、私は常にクローゼットの中の鏡を覗きこんでは、右往左往し慌てふためいている。誰からも最大限にカッコよく思われたいし、男からも女からも好かれたいし、すごい作品を書けそうに見られたいし、こんな風に、あんな風に、という私の煩悩は尽き無い。フェイスブックやインスタグラムに次々とあがってくる他人の素敵な毎日を目にするたびに私は羨ましくて倒れそうになる。覗きこむ鏡の向こうには、もはや無限大に広がるかのごとく他人の視線が溢れている。

 特に女はその視線の猛威に晒されているんじゃなかろうか、と私は思わず拳を握りしめてしまう。だってモテコーデやらモテメイクにはじまり、年をとったら今度は素敵なママになって輝かなくちゃと、こんなにも煽られてばかりいるのだから。なんで他人のために私ばっかりがこんなにも頑張んなきゃなんないわけ!? ふざけんなと憤慨してみたり、いやあ案外マニュアル通りにすると褒められたりするよねというしたたかさがむくりと頭をもたげたり、反るか伸るかはさておいて、それを完全無視して平常心を保つのは、どれほど困難なことだろう。しかし、それは男だって同じなのかもしれない。きっと、私たちはみんな、いつだって誰だって、他人の視線を、他人の視線を受けている自分を、完全に無視してなんて生きられない。

 綿矢りささんは、どうして私が、私たちが抱えるこんなにもモヤモヤした気持ちや視線を、いとも鋭く描くことができるんだろう。筆致はそれを決して断罪することなく優しくて、あっぱれなまでに痛快だ。

 収録作の『いなか、の、すとーかー』は東京から故郷の村へ戻り工房を構えた、「ロハスっぽいのが好きな層にうけ」そうな新進イケメン陶芸家の男、石居のストーリー。テレビ番組「灼熱列島」にフィーチャーされた彼はテレビカメラを向けられる。

「おれだってこんな風にいちいち映りを気にした発言をしたくない。芸術家らしく、テレビだからって変にかっこつけず、泰然として、カメラが回ってるときも回ってないときも、黙々と作品作りに集中していたい。
 でもしょうがないじゃないか」

 一心に期待にこたえようと陶芸家らしさを演じては悶える石居の苦悩の心の呟きは、笑えるけれど笑えない。

 限りなく非日常のシチュエーションを、あたかも自然で真実っぽく流されるテレビの内側と外側の両方で、視線が行き来しながら増幅してゆく様は秀逸だ。  

 だからこそ、そこに登場する狂気のストーカーは恐怖だけれど、同時に新鮮な存在にも映るのかもしれない。

「おれを見ようとはせず、ぐるんぐるん回り続けるろくろも見ようとせずに、指紋だらけで脂じみてる厚いレンズの眼鏡の向こうの輝きのない引っ込んだ眼で、おれが知らない知りたくもない異次元の世界を眺めている」

 石居のもとには謎の女ストーカーが現れ、地元の幼なじみたちと一緒になってストーカーを撃退すべく動き回るにつれて、展開はミステリー仕立てになってゆく。

 一方、表題作でもある『ウォーク・イン・クローゼット』の主人公はふたりの女。幼い頃から母親に着飾らされていたモデルのだりあは、テレビタレントとしても活躍していて、他人の欲望に完璧に応える術を知っている。だりあの幼なじみでOLの早希もまた、会う人やTPOにあわせた洋服選び、ガーリーで清楚なモテファッションができる。というより、洋服はみんな〝対男用〟で選んでいる人物だ。そんな彼女たちと服との関係は、切実だ。早希が服選びに悩む現場なんて特に胸に迫る。

「迷うなら、いっそ会う人にどう思われるか考えずに、本当に自分の好きなカッコをしてみたら? 自分に提案してみるけど、こうしてクローゼットの中の服たちをベッドの上に出したら、本当に着たい服なんて一枚も無い。そもそも私の本当に着たい服ってどんなだろう?」

 恋をしたくて、誰かに愛されたくて、誰かに受け入れられたくて、私もまた、服を着たり脱いだり、また着たり、を繰り返しているのかもしれない。服を脱ぎ捨てて、存在そのものを否定されるのは、とっても怖いことだから。

 子どもの頃の私は、クローゼットの向こうには『ライオンと魔女』のナルニア国があると夢見ていた。けれど、大人になった今、クローゼットの奥はただの壁でしかなくて、そこから放り出された洋服たちはうろうろと私のまわりを彷徨っている。

 すっぴん半裸で駆け回る私は、未だに自分が本当はどんな洋服が着たいかわからないし、とはいえその洋服を捨ててしまうこともできず、かといって大切にアイロンがけすることもできないまま、戸惑い悶絶し続けている。

 けれど、ただひとつはっきりと言えることは、この本はそんな自分自身の姿を、ただひたすらまっすぐ一筋の光で照らすような存在だということ。たとえこの本の中の登場人物たちのように自分自身にぴったりとした「服」との向き合い方を見つけることがまだできなくても、そのために一生懸命あがくことならできそうな気持ちになる。

 クローゼットのこちら側に広がる世界へ向けて踏み出す勇気がゆっくりと湧きあがってくる。目の前の一歩はそこにある。