野良猫を尊敬した日

穂村 弘

1540円(税込)

ほむらさんと二種類の幸福

雪舟えま

 本書に登場する人びとは皆魅力てきなエピソードをもっている。奥さんや友人や仕事で会う人だけでなく、ひととき近くに居合わせただけの人からも、穂村弘はそのユニークさを見逃すことなくすいっと抽出する。この世の人間関係のルール(?)として、自分とどこか引きあったり、釣りあいのとれた相手としか出会わないし、関係もつづかないものだ。素敵な人が周囲に集まるということは、「ほむらさん」自身が素敵だからなのだけど、当人はそれを知ってか知らずか、自身の言動を顧みては「僕は駄目だなあ」てきなことばかりいっているので、えーなんで? と笑ってしまう。『野良猫を尊敬した日』は、ほむらさんの魅力が空回りする……ように見せかけて、華麗な三回転半で読み手の胸に飛びこんでくる、そんな愛おしいエッセイ集だ。

 天職に就いている人たちの、仕事へのエネルギッシュでパンチの効いた発言と、噓ではないが気弱な自分の発言を比較して、「駄目なんだ」と思うほむらさん。電車の故障で新幹線への乗り換えの時間がないときに、ほかの乗客のように行動を即決できない自分を「恰好悪い」と思うほむらさん。病院で、採血の下手なナースに「代わって欲しい」の一言がいえないほむらさん。そんな彼が憧れるのはもちろん、「迷いの無さ、静かな自信、これで良いという思い込み、などを自然に備えた人」だ。そういう人に出会うと、「眩しさのあまりつい見つめてしまう」くらいに惹かれる。

 ある人が、自分で「よい」と思いこんでいることをあきらかにするとき、その意外さに、既知の世界が更新されるのを感じることがある。引っ越しの話題で盛りあがっている場で、落ちついた表情で「僕は西日が好きだから」といった友人に、ほむらさんはしびれる。「南向きとか東南角とか」がこのましいとされる世間一般の価値観から自由なこの友人は、ナチュラルな魅力にあふれた人物なのだろうなあと想像する。

 ある冬の明け方、ほむらさんはネット上で友人がリアルタイムな書きこみをしているのに気づく。そこには、いまおなじ時間に起きている人への「おはようございます」という呼びかけがあり、空を眺めながらコーヒーとチョコレートを味わい、鳥の声に耳を澄ませているということが淡々と書いてあった。こんな素敵な時間にはもう「いろんな望みは平べったくなってしまっていい」とまで述べられており、ほむらさんはその言葉の意味について考え──「気づかぬうちにもう望みは叶っているってことかもしれない」と思いいたる。そして、この書きこみから、ほむらさん自身も「どうしてか、今までそのことを忘れていたのだ。私の人生はこんなにも幸福に充たされているのに」と気づく。

 その感覚をもって近所を歩いてみれば、見慣れたものがなんと新鮮に映ることか。コンビニの「卵サンド」や「濃厚チーズ鱈」がたまらなく美味しそうに見え、食べてみると「うまっ、うまっ」と声をあげてしまうほど美味しい。さらに、これを「外国に輸出したらどうだろう」「ノーベルおつまみ賞だ」と空想はのびのび広がる。

 幸福には二種類ある。ひとつは、現代の私たちの大半がそれを「幸せ」であると教えられて育ってきたもの──達成したり、獲得したり所有したり、勝利したり、進化や成長や向上を認められたりといったことだ。これらの多くは自分と他者を比較することで感じる幸福であり、失敗や喪失や不足や敗北への恐れ、劣等感や停滞感と表裏一体のワンセットになっている。私たちは、ありのままの自分でいることがどうにもこうにも居心地わるいらしく、つねにいまの自分になにかをプラスしつづけていなければ落ちつかない。

 もうひとつの幸福が、ネットで冬の早朝の書きこみをした友人の味わっていた幸福であり、ほむらさんが卵サンドに突進し、チータラを輸出したならと子どものような空想をくり広げたときの幸福だ。こちらの幸福の根拠には他者との比較はない。ただ自分が自分であることで満たされ、「世界」と呼ばれるこの空間で胸が満たされ、「気づかぬうちにもう望みは叶って」いたとさえ思える。

 後者のタイプの幸福を、ほむらさんはたびたび強く実感する。ひどい風邪から回復したとき、「熱がないってなんて気持ちいいんだろう。それだけでもう何も要らない」と思うのだ。これも自分が自分である状態に戻れたよろこびだといえる。私たちは特別なプラスがなくても、「いやなことがない」だけで──マイナスからゼロのポイントに戻るだけで、じゅうぶん幸福を感じるようにできているらしい。

 後者の満ちたりた幸福の中にあるとき、自分やこの世界にはなにも欠けたところがなく完璧だと感じ、私たちはゼロにしてすべてとでもいうべきものになっているのではないか。「この気持ちを壊さないように生きてゆきたい」とほむらさんは願うのに、切ないことに長くはつづかない。なぜなのだろう? それは、たとえば、卵サンドやチータラといっしょに購入した本『日本のタブーThe Best 知らなかったあなたが悪い!』の影響かもしれない。そこには「激安メニューが危ない!」「『アイツ消したれ!』紳助に睨まれた獲物たち」「フリーアナが稼ぎだす年収を完全暴露」といった、世間の価値観、他者との比較の世界の情報があった。それに触れることで、無邪気に境界なく拡大していたほむらさんのハートが冷たく萎縮していく感じが伝わってきた。

 二種類の幸福といったが、どちらがよくてどちらがわるいというものではない。併存するのがいまの地球で、それで完璧ということなのだろう。現代社会では圧倒てきに前者の幸福を求めることが多いように見えるが、逆転していく時代も来るのだろうか。