いのち

瀬戸内寂聴

定価(税別):1400円

一枚の「写真」のように

高橋源一郎

 

 長い間、誤解をしていた一枚の「写真」がある。
 それは、わたしの父と母が一緒に写っている写真だ。目を閉じれば、はっきりと浮かんでくる。左側に父、右側に母。父は白いシャツを両肘までまくり上げ、母親は白い割烹着姿で、まだ若かったふたりは、並んでこちらを向き、笑っている。ほんとうに楽しそうに。その向こうには、黄色い菜の花畑が広がっていた。
 父と母はずっと仲が悪かった。だから、わたしは、この、一瞬の奇跡のような光景をおさめた写真を大切に覚えていた。そして、何度か、この写真について書いた。
 数年前、弟から電話があった。弟とは、年に一度ほど電話をし、その都度、四方山話をする。それだけだった。
「ところで、兄ちゃん」
「なに?」
「兄ちゃんが、時々書いてる、親父とお袋の写真のことやけど。あれ、なに?」
「いや、ふたりの写真だよ」
「そんなの、どこにあるの?」
「おまえに預けてるアルバムに貼ってあるだろ」
 高橋家の写真は、すべて一冊の、古い大きなアルバムにおさめられて、弟の手元にある。そのアルバムにそんな写真はない、というのだ。
「だいたい、カラー写真なんか一枚もないで」
 そんな写真はなかったのだ。では、わたしの記憶の中にある「あの写真」は何だったのだろう。しばらく、わたしは考えつづけた。そして、いま、わたしは、「あの写真」の正体について、こう考えている。わたしが記憶しているのは、写真ではなく、実際に、幼いわたしが見た光景なのだろう。確かに、「あの写真」のふたりは、こちらを見下ろす位置にいたように思う。喧嘩が絶えなかったふたりが、あの瞬間だけは、奇跡のように優しく、笑いながら、子どものわたしを見つめていた。それがほんとうに嬉しくて、わたしは、その一瞬を、写真のように切り取り、わたしの記憶の中のアルバムに描きこんだのだ。そして、いつしか、それを、ほんものの写真と思いこむようになったのだろう。
 わたしは、瀬戸内寂聴さんの『いのち』を読みながら、わたしにとって忘れることができない、「あの写真」のことを思い出していた。
『いのち』の、主な登場人物は、著者が、その生涯において関わってきた、そして、もう、この世界からは旅立ってしまった、たくさんの死者たちだ。
 九十八歳まで「美しいまま生きのび」た宇野千代、「(ガンの)宣告の時、医者が何と言ったと思います? 高見順さんと同じです、って!」と言った江國滋、腸のガンに冒され、手術のあと、「俺の腸を食いやがった不埒なガンめ! 焼鳥にして食ってやる! 切った奴をここへ持って来い!」と叫んだ今東光、ガンになったとき、死にたくないと懊悩し、「いやだよ、まだ六十代なんだよ、せめて七十代で死ぬならあきらめがつくかもしれないけれど、今、死ぬのは厭だ! どんなことしても生きたい! 仕事をもっとしたい!」と呻いたある男、九十四歳で亡くなる前、最後の長い対談で、「死は、先生にとって何でしょうか」と訊ねる著者に、「無!」と答えた里見弴。
 その死者たちの多くは、著者の同志ともいえる作家たちで、鮮明な記憶の断片となって、著者の脳裏によみがえる。けれど、その中にあってもっとも多く、特権的な場所を与えられるのは、戦友ともいえる、ふたりの女性作家、河野多惠子と大庭みな子だ。
『いのち』の中で描かれる、河野多惠子と大庭みな子は(そして、彼女たちを語るとき、忘れることができない「分身」ともいえる、夫たちも)、もし、いつか、この時代の文学史が書かれ、そこで「公式」に描かれることになるだろう、彼女たちの姿とは異なったものだ。わたしたちの目の前に出現するのは、あまりにも生々しい、人間の行いと言葉だからだ。
 そう、確かに、彼女たちはもう死んでしまった。彼女たちだけではない。筆者が描くのは死者たちだ。けれども、どうして、『いのち』の中の死者たちは、生きている人間のように生々しいのだろうか。いや、もしかしたら、生きている人間よりも生々しく感じられてしまうのは、なぜなのだろうか。
 生者よりも生きているように思える死者たち。これが、『いのち』の秘密であるように、わたしには思えた。『いのち』の中の死者たちの姿は、わたしの記憶の中にあった「あの写真」の両親と同じだ。「あの写真」は、カメラのレンズによって「ただ」写されたのではない。ある決定的な瞬間、決定的な場所で、もっとも深い感情によって、写しとられたのである。
 そのときから、その瞬間から、彼ら・彼女たちは、著者の中で永遠に生きる者となった。それを読むとき、どうして、わたしたちは、震えるような感動を味わうのだろうか。それは、著者の個人的な思い出に過ぎないのかもしれないのに。
 ちがうのである。
 わたしの中で、わたしの両親は、生きつづけている。けれども、わたしが死ぬとき、彼らもまた、ほんとうに死ぬであろう。だが、わたしが、その記憶をことばにするとき、彼らはよみがえる。どこかのだれかが、それを読み、一度も会ったことのない、わたしの両親のことを、ほんの少し考える。その瞬間、彼らは、陽炎のようによみがえるのだ。
『いのち』の中で、死者たちもまた、復活の瞬間を夢見ている。いや、そもそも、生命とは、いのちとは、そういうものではなかったろうか。
 人は、生物としては、死ぬのである。けれども、ことばを持つ者としては、生きつづける。そのことを証明するために、そのことを読者に告げるために、『いのち』は書かれたのである。

 長い間、誤解をしていた一枚の「写真」がある。

 それは、わたしの父と母が一緒に写っている写真だ。目を閉じれば、はっきりと浮かんでくる。左側に父、右側に母。父は白いシャツを両肘までまくり上げ、母親は白い割烹着姿で、まだ若かったふたりは、並んでこちらを向き、笑っている。ほんとうに楽しそうに。その向こうには、黄色い菜の花畑が広がっていた。

 父と母はずっと仲が悪かった。だから、わたしは、この、一瞬の奇跡のような光景をおさめた写真を大切に覚えていた。そして、何度か、この写真について書いた。

 数年前、弟から電話があった。弟とは、年に一度ほど電話をし、その都度、四方山話をする。それだけだった。

「ところで、兄ちゃん」

「なに?」

「兄ちゃんが、時々書いてる、親父とお袋の写真のことやけど。あれ、なに?」

「いや、ふたりの写真だよ」

「そんなの、どこにあるの?」

「おまえに預けてるアルバムに貼ってあるだろ」

 高橋家の写真は、すべて一冊の、古い大きなアルバムにおさめられて、弟の手元にある。そのアルバムにそんな写真はない、というのだ。

「だいたい、カラー写真なんか一枚もないで」

 そんな写真はなかったのだ。では、わたしの記憶の中にある「あの写真」は何だったのだろう。しばらく、わたしは考えつづけた。そして、いま、わたしは、「あの写真」の正体について、こう考えている。わたしが記憶しているのは、写真ではなく、実際に、幼いわたしが見た光景なのだろう。確かに、「あの写真」のふたりは、こちらを見下ろす位置にいたように思う。喧嘩が絶えなかったふたりが、あの瞬間だけは、奇跡のように優しく、笑いながら、子どものわたしを見つめていた。それがほんとうに嬉しくて、わたしは、その一瞬を、写真のように切り取り、わたしの記憶の中のアルバムに描きこんだのだ。そして、いつしか、それを、ほんものの写真と思いこむようになったのだろう。

 

 わたしは、瀬戸内寂聴さんの『いのち』を読みながら、わたしにとって忘れることができない、「あの写真」のことを思い出していた。

『いのち』の、主な登場人物は、著者が、その生涯において関わってきた、そして、もう、この世界からは旅立ってしまった、たくさんの死者たちだ。

 九十八歳まで「美しいまま生きのび」た宇野千代、「(ガンの)宣告の時、医者が何と言ったと思います? 高見順さんと同じです、って!」と言った江國滋、腸のガンに冒され、手術のあと、「俺の腸を食いやがった不埒なガンめ! 焼鳥にして食ってやる! 切った奴をここへ持って来い!」と叫んだ今東光、ガンになったとき、死にたくないと懊悩し、「いやだよ、まだ六十代なんだよ、せめて七十代で死ぬならあきらめがつくかもしれないけれど、今、死ぬのは厭だ! どんなことしても生きたい! 仕事をもっとしたい!」と呻いたある男、九十四歳で亡くなる前、最後の長い対談で、「死は、先生にとって何でしょうか」と訊ねる著者に、「無!」と答えた里見弴。

 その死者たちの多くは、著者の同志ともいえる作家たちで、鮮明な記憶の断片となって、著者の脳裏によみがえる。けれど、その中にあってもっとも多く、特権的な場所を与えられるのは、戦友ともいえる、ふたりの女性作家、河野多惠子と大庭みな子だ。

『いのち』の中で描かれる、河野多惠子と大庭みな子は(そして、彼女たちを語るとき、忘れることができない「分身」ともいえる、夫たちも)、もし、いつか、この時代の文学史が書かれ、そこで「公式」に描かれることになるだろう、彼女たちの姿とは異なったものだ。わたしたちの目の前に出現するのは、あまりにも生々しい、人間の行いと言葉だからだ。

 そう、確かに、彼女たちはもう死んでしまった。彼女たちだけではない。筆者が描くのは死者たちだ。けれども、どうして、『いのち』の中の死者たちは、生きている人間のように生々しいのだろうか。いや、もしかしたら、生きている人間よりも生々しく感じられてしまうのは、なぜなのだろうか。

 生者よりも生きているように思える死者たち。これが、『いのち』の秘密であるように、わたしには思えた。『いのち』の中の死者たちの姿は、わたしの記憶の中にあった「あの写真」の両親と同じだ。「あの写真」は、カメラのレンズによって「ただ」写されたのではない。ある決定的な瞬間、決定的な場所で、もっとも深い感情によって、写しとられたのである。

 そのときから、その瞬間から、彼ら・彼女たちは、著者の中で永遠に生きる者となった。それを読むとき、どうして、わたしたちは、震えるような感動を味わうのだろうか。それは、著者の個人的な思い出に過ぎないのかもしれないのに。

 ちがうのである。

 わたしの中で、わたしの両親は、生きつづけている。けれども、わたしが死ぬとき、彼らもまた、ほんとうに死ぬであろう。だが、わたしが、その記憶をことばにするとき、彼らはよみがえる。どこかのだれかが、それを読み、一度も会ったことのない、わたしの両親のことを、ほんの少し考える。その瞬間、彼らは、陽炎のようによみがえるのだ。

『いのち』の中で、死者たちもまた、復活の瞬間を夢見ている。いや、そもそも、生命とは、いのちとは、そういうものではなかったろうか。

 人は、生物としては、死ぬのである。けれども、ことばを持つ者としては、生きつづける。そのことを証明するために、そのことを読者に告げるために、『いのち』は書かれたのである。