鬼子の歌 偏愛音楽的日本近現代史

片山杜秀

3200円

鬼子の偏愛する交響曲・オペラ

細川周平

 鬼子とは誰でしょう。「置き所に惑う子」と著者は答えます。これってご自分のことじゃありませんか。批評でも研究でも感想でもない。どこにも置けない文章で読ませてきたご自身ではありませんか。鬼子が鬼子を語る本。語られるのは日本人作曲家一四名によるクラシック音楽です。歌とありますが交響曲、オペラのような大曲が主な対象です。このうち評伝があるのは山田耕筰ほか数名、それに地味な通史が数冊、まとめてかかってもヨーロッパの大作曲家一人にもとうてい及びません。学校でもきちんと教えませんし、めったに演奏されません。分の悪い鬼子です。でも一五〇年前には誰も読めなかった五線譜を使って、この国にしかない芸術音楽を創作した方々と片山は尊敬しています。

 ヘタな文体模写して敬意を表していますが、元はもっと滑らか絶品、乗せられたら降りられません。普通の学者評論家が踏むお約束事ははなっから無視、あふれ出る知識を制御せず、序奏、第一主題から第二主題、間奏=感想があって変奏=変装があって転調=展張があって第一主題にもどって一気にコーダ、どの章も結論部は鮮やか。重い主題を陽気に語るアレグロ・マ・グラーベ、軽快だが重厚の感じ、即興曲に見えて実は計算高いシューベルトの境地、いや狂詩曲と訳されるラプソディかもしれません。なるほどザ・ミュージックです、音楽講談です。講談社だからっていうのじゃありません。ただ朗読するだけなら一〇分で終わるお話を一時間かけて、文学や流行をきっかけに話を切り出したかと思うや、師弟関係の話題に入り、作曲家の思想的・芸術的葛藤=濡れ場でじっくりインテリ読者を喜ばせ、伝記の基本知識を押さえつつ、他の作品を筋道立てて語り、気を持たせる結語を用意してちょうど時間となりました、またのお越しを。この読み応えはたまりません。これまで小劇場で切り売りしてきた講談師が、満を持しての檜舞台、語り放題というやつです。

 たとえば全体で一番の力演と思う三善晃の章は『赤毛のアン』から始まります。著者のアニメの思い出が語られます。そこからめぐりめぐって支倉使節団についてのオペラ『遠い帆』に至るのです。関連する和洋古今雅俗五〇曲三〇人ぐらいを全体七〇ページにちりばめつつ、知識人のフランスびいきや劣等感、三善のパリ留学の挫折と転向、キリシタンの挫折、初演地仙台と縄文的イメージ、松本清張の矛盾語好み、西洋のソナタ形式の予定調和と日本の序破急の前進構造、丸山眞男の日本論、これら脇役に場面を持たせつつ、『遠い帆』を日本回帰も西洋崇拝もしない鬼子作曲家の「自画像オペラ」と看破し、最後に木下順二の『子午線の祀り』と重ねて終幕に到達します。論文でも評論でも分析でも伝記でもありません。探偵のように聴き込み読み込みました。入れ込みました。そして調べ上げ書き上げました。探偵の眼だから荒俣宏を思い出します。話題の偏差も集中も。それに探偵の耳も加わるから常人ではないのです。

 一作曲家の創造活動すべてをこの一曲に集約させるべく、右耳と左耳、右脳と左脳が猛烈なジグザグで言葉を編み出すのです。軽業、お手玉、ボレロ舞、何とでもお呼びください。音楽ですから曲の芸、曲芸と呼ぶのが一番でしょうが、長年の思いのたけを果たしたようで、読者は目まいを覚えます。一見軽く飛び回っているかのようで、要所ごとの論点は重厚で、常識にかみつき、学者頭ならそこで沈没してしまいますが、片山はさっさと次の幕へ回り舞台を進めます。和洋伝統の衝突と融和という重い持続低音を奏でる一四曲の組曲とも読めます。作品や作者にピンポイントで光をあてつつ、一五〇年の近代史も時には千年のくに作り、うた作りの歴史も忘れないのです。日本語にはそれだけ重い歴史があるのを忘れません。

 普通の批評なら一、二行で流される作曲家の家系を重く見ます。偏愛たる所以です。尾高尚忠の交響曲を語るのに、章の半分以上をあてて血縁の渋沢栄一から始めて、当人の兄弟全部の業績を調べ上げ、一族の文明観と尚忠の作風との関与を探り出します。戸田邦雄の明治百年バレエ『ミランダ』の章は、龍馬の同志で維新の基本路線を決めた祖父尾崎三良に四、五ページかけます。作曲者が言及していれば幸い、いなくても構いません。血は争えませんで人を見ます。講談の沸かせどころです。伊福部昭の放射線障害で亡くなった兄の仕事が『ゴジラ』にはめこまれ、諸井三郎のピアノ協奏曲もまずセメント王の血族の事績が先決です。そのうえで彼の没頭した神智学について十数ページ。話しだしはユリ・ゲラー、といってもご存知ない方が多いでしょうが。驚いたのは黛敏郎のオペラ『金閣寺』の章で制作に縁のある日生劇場の元締め、日本生命について一〇ページも由来が記され、このオペラとの成立事情に滑り込む件りです。最後の章の松村禎三・遠藤周作のオペラ『沈黙』の一幕に、高浜虚子がここぞの役で登場しても驚きません。キリスト教と古代は全体のサブテーマです。お確かめください。

 こうしたひっかけで沸かせる反面、スコアを精読した成果をあまり専門的にならない程度に読ませてくれます。音楽学者が誰もやっていないことです。そもそも入手困難な楽譜もあります。特に信時潔の「海ゆかば」と耕筰の「赤とんぼ」の旋律を一音一音比較する段には驚愕しました。そこから二人の対照的な性格や作風を鮮やかに描くのです。それぞれ聴き慣れた十数秒間にかくも綿密な力学がはたらいて音符は連なっているのか、比喩でなしに音の舞だと思いました。

 実際の片山さんを少し知っていますが、この文章通り、何を訊いても思わぬ方向に話題を引っ張っていくキケンな方です。覚悟していないとついていけません。勢いに押されます。他にも作曲家ストックがたくさんあるそうですから、続編を期待しましょう。そして語られた作品の演奏を待ちましょう。

「ゆきてかえりし物語」といえばJ・R・R・トールキンのファンタジー小説『ホビット』の副題だが、行って帰ってくる物語とはようするに旅のことだ。
『前立腺歌日記』は、前立腺ガンを宣告された初老の男が、手術とリハビリと放射線治療を経験した後、日常生活に戻るまでの旅を物語る一冊である。「僕」と名乗る語り手は著者に瓜二つだから私小説のように読めるし、治療の段取りが詳細に描かれているので、闘病記の系譜に連なるノンフィクションとして読んでも差し支えないだろう。
 ただし、これは「歌日記」なので、散文の合間に詩篇がひんぱんに差し挟まれる。自作の詩が多いが、万葉集、和泉式部、高浜虚子から新川和江にいたる日本語詩や、シェークスピア、ランボー、T・S・エリオットなどの詩も邦訳で登場する。日々の報告を語る「僕」の文章に詩行が挿入されると、個人の経験がにわかに隠喩へと変容するかのようだ。読み進むうちに、芭蕉の『奥の細道』、ダンテの『神曲』、紀貫之の『土佐日記』、トーマス・マンの『魔の山』などが物語を下支えする構造も見えてくる。思えばどれも、行って帰ってくる隠喩的な旅を描いた書物ばかりである。
 ミュンヘン在住の「私」が語る物語の発端は一年前にさかのぼる。熊野古道を徒歩旅行したとき、中学生の頃に部活で痛めた膝関節の軟骨に負担がかかって痛みが再発した。ドイツに戻って医者へ行き、ついでに受けた血液検査がきっかけで前立腺ガンを早期に見つけることができた。
 この病気にかかりやすい傾向が父祖たちにあったことを知る「私」は、発病を「気の遠くなるほどの過去からの贈り物」ととらえ、前立腺全摘の手術を受けることを決める。そこまでが「奥の細道・前立腺」と題された第一章で、「尿道カテーテルをつけたまま詩が書けるか?」を問う第二章は、入院してから退院するまでの経緯を語る。入院生活のなかで気取らぬ生き方を学んだ「僕」(第二章から一人称が変わる)は、「これからは、どんな時でも、誰の前でも、胸の前におしっこ袋をぶら下げているつもりで生きてゆこう」と決意する。初老の男が人生の初心を取り戻す瞬間の描写が感動的だ。
 だがじつは、「尿道カテーテルをつけたまま書いた詩」と題された既出の詩(『現代詩手帖』、二〇一七年一月号)があって、その末尾に同じ決意が語られている。詩で語ったことをあえて散文で語り直すのはなぜだろうか。その理由はたぶん、『前立腺歌日記』に秘められた詩と散文の融合をめざそうとする意図とリンクしている。
 著者はかつて、「初めに言葉・力ありき」と題された講演(評論集『詩人たちよ!』所収)で、ダンテ、芭蕉、マンの文学を縦横に比較しながら、行為と言語の対立と協力関係について論じたことがある。四元は、『神曲』においては言葉と行為が対立せず、「無邪気なばかりに睦まじい関係を結んで」いるのに気づき、「詩人の操る特殊な力に満ちた言葉」によって、行為=現実が「固有性の世界」から「普遍的な世界、永遠の高み」へと導かれているのを発見した。
 なるほど、『前立腺歌日記』は、散文的な行為の世界と詩の言語が誘い込む永遠・普遍の世界とを調和させようとする実験場なのだ。
 手術後のリハビリのために滞在した療養所での暮らしが描かれた第三章「シェーデル日記」は現代版の『魔の山』であり、病院の地下にある放射線科へ通った経験を語る第四章「わが神曲・放射線」には、ダンテの地獄篇をもじった世界が描かれる。そして、先述の詩論において、中原中也の詩と井筒俊彦の言語哲学を参照しながら、「根源的絶対無分節の世界」「一にして無限な混沌宇宙」などと表現されていた、詩の言葉が向かうべき「意識の深層」は、本作では「クオリア」と言い換えられている。クオリアとは「赤ならば赤の『赤さ』そのものの質感」のことで、その出所について人間は何も知らないものの、「意識のクオリア」こそ「僕という存在の本質」ではないか、と語り手は考えるのである。
「終章 春雨コーダ」では一人称が「私」に戻る。第二章から第四章までの「僕」が渦中の語り手だったとすれば、「私」は発病から回復にいたる「ゆきてかえりし物語」を丸ごと見渡せる場所に立っている。三十五回にわたる放射線治療を終えて、地下から地上へ出た彼は、そこが「私の煉獄」だと気づく。
 今、新たな旅に出た「私」は来し方を顧みて、自分は「いつも何かを待ちながら生きてきた」とつぶやく。そして、「私は詩に憧れ、いつの日か自分の言葉の指先がそれに触れることを夢見た」が、「詩だけに満足することもできなかった」ので、「現世的な歓びを追い求め」、「ひとりの娘」と結ばれたことを語る。これ以上せんじ詰めることは不可能と思われる自叙伝が綴られたこのパラグラフにおいて、著者によく似た「私」は詩と現実、あるいは言葉と行為のあいだに折り合いをつけようとしてきた人生を振り返っている。
 終章の終わり近く、ミュンヘンからの旅の途上にストラスブールで下車した「私」は、大聖堂の隣の美術館を訪れて、かつて岳父とここを訪れたときの時間を生きなおす。美術館を出て、運河のほとりを歩き出したときには死者たちの思い出が胸中に押し寄せてくる。「私」は街中の「こぢんまりした教会」へ入り、合唱を聴く。合唱隊は「脳の中の、神経細胞の先端の、微小管の内部の素粒子を自己収縮させて、自分だけのクオリアを外界に照射して」いる。「私」はこの瞬間、ダンテそのひとを生きているかのようだ。合唱の声が響き合う、調和の世界に身を委ねる語り手は、比類のない天上の音楽の只中にある。
 病を得た経験をもとにして本作を書いた四元は、ダンテと同じくみずからを著者、作中人物(僕)、全知の語り手(私)の三人に振り分けつつ統合して、「歌日記」を広げてみせる。世界文学への愛と真摯な詩論に裏付けされた本作により、歌と物語を融合する古い器に新しい可能性がつけくわえられた。