鬼子の歌 偏愛音楽的日本近現代史

片山杜秀

3520円(税込)

鬼子の偏愛する交響曲・オペラ

細川周平

 鬼子とは誰でしょう。「置き所に惑う子」と著者は答えます。これってご自分のことじゃありませんか。批評でも研究でも感想でもない。どこにも置けない文章で読ませてきたご自身ではありませんか。鬼子が鬼子を語る本。語られるのは日本人作曲家一四名によるクラシック音楽です。歌とありますが交響曲、オペラのような大曲が主な対象です。このうち評伝があるのは山田耕筰ほか数名、それに地味な通史が数冊、まとめてかかってもヨーロッパの大作曲家一人にもとうてい及びません。学校でもきちんと教えませんし、めったに演奏されません。分の悪い鬼子です。でも一五〇年前には誰も読めなかった五線譜を使って、この国にしかない芸術音楽を創作した方々と片山は尊敬しています。

 ヘタな文体模写して敬意を表していますが、元はもっと滑らか絶品、乗せられたら降りられません。普通の学者評論家が踏むお約束事ははなっから無視、あふれ出る知識を制御せず、序奏、第一主題から第二主題、間奏=感想があって変奏=変装があって転調=展張があって第一主題にもどって一気にコーダ、どの章も結論部は鮮やか。重い主題を陽気に語るアレグロ・マ・グラーベ、軽快だが重厚の感じ、即興曲に見えて実は計算高いシューベルトの境地、いや狂詩曲と訳されるラプソディかもしれません。なるほどザ・ミュージックです、音楽講談です。講談社だからっていうのじゃありません。ただ朗読するだけなら一〇分で終わるお話を一時間かけて、文学や流行をきっかけに話を切り出したかと思うや、師弟関係の話題に入り、作曲家の思想的・芸術的葛藤=濡れ場でじっくりインテリ読者を喜ばせ、伝記の基本知識を押さえつつ、他の作品を筋道立てて語り、気を持たせる結語を用意してちょうど時間となりました、またのお越しを。この読み応えはたまりません。これまで小劇場で切り売りしてきた講談師が、満を持しての檜舞台、語り放題というやつです。

 たとえば全体で一番の力演と思う三善晃の章は『赤毛のアン』から始まります。著者のアニメの思い出が語られます。そこからめぐりめぐって支倉使節団についてのオペラ『遠い帆』に至るのです。関連する和洋古今雅俗五〇曲三〇人ぐらいを全体七〇ページにちりばめつつ、知識人のフランスびいきや劣等感、三善のパリ留学の挫折と転向、キリシタンの挫折、初演地仙台と縄文的イメージ、松本清張の矛盾語好み、西洋のソナタ形式の予定調和と日本の序破急の前進構造、丸山眞男の日本論、これら脇役に場面を持たせつつ、『遠い帆』を日本回帰も西洋崇拝もしない鬼子作曲家の「自画像オペラ」と看破し、最後に木下順二の『子午線の祀り』と重ねて終幕に到達します。論文でも評論でも分析でも伝記でもありません。探偵のように聴き込み読み込みました。入れ込みました。そして調べ上げ書き上げました。探偵の眼だから荒俣宏を思い出します。話題の偏差も集中も。それに探偵の耳も加わるから常人ではないのです。

 一作曲家の創造活動すべてをこの一曲に集約させるべく、右耳と左耳、右脳と左脳が猛烈なジグザグで言葉を編み出すのです。軽業、お手玉、ボレロ舞、何とでもお呼びください。音楽ですから曲の芸、曲芸と呼ぶのが一番でしょうが、長年の思いのたけを果たしたようで、読者は目まいを覚えます。一見軽く飛び回っているかのようで、要所ごとの論点は重厚で、常識にかみつき、学者頭ならそこで沈没してしまいますが、片山はさっさと次の幕へ回り舞台を進めます。和洋伝統の衝突と融和という重い持続低音を奏でる一四曲の組曲とも読めます。作品や作者にピンポイントで光をあてつつ、一五〇年の近代史も時には千年のくに作り、うた作りの歴史も忘れないのです。日本語にはそれだけ重い歴史があるのを忘れません。

 普通の批評なら一、二行で流される作曲家の家系を重く見ます。偏愛たる所以です。尾高尚忠の交響曲を語るのに、章の半分以上をあてて血縁の渋沢栄一から始めて、当人の兄弟全部の業績を調べ上げ、一族の文明観と尚忠の作風との関与を探り出します。戸田邦雄の明治百年バレエ『ミランダ』の章は、龍馬の同志で維新の基本路線を決めた祖父尾崎三良に四、五ページかけます。作曲者が言及していれば幸い、いなくても構いません。血は争えませんで人を見ます。講談の沸かせどころです。伊福部昭の放射線障害で亡くなった兄の仕事が『ゴジラ』にはめこまれ、諸井三郎のピアノ協奏曲もまずセメント王の血族の事績が先決です。そのうえで彼の没頭した神智学について十数ページ。話しだしはユリ・ゲラー、といってもご存知ない方が多いでしょうが。驚いたのは黛敏郎のオペラ『金閣寺』の章で制作に縁のある日生劇場の元締め、日本生命について一〇ページも由来が記され、このオペラとの成立事情に滑り込む件りです。最後の章の松村禎三・遠藤周作のオペラ『沈黙』の一幕に、高浜虚子がここぞの役で登場しても驚きません。キリスト教と古代は全体のサブテーマです。お確かめください。

 こうしたひっかけで沸かせる反面、スコアを精読した成果をあまり専門的にならない程度に読ませてくれます。音楽学者が誰もやっていないことです。そもそも入手困難な楽譜もあります。特に信時潔の「海ゆかば」と耕筰の「赤とんぼ」の旋律を一音一音比較する段には驚愕しました。そこから二人の対照的な性格や作風を鮮やかに描くのです。それぞれ聴き慣れた十数秒間にかくも綿密な力学がはたらいて音符は連なっているのか、比喩でなしに音の舞だと思いました。

 実際の片山さんを少し知っていますが、この文章通り、何を訊いても思わぬ方向に話題を引っ張っていくキケンな方です。覚悟していないとついていけません。勢いに押されます。他にも作曲家ストックがたくさんあるそうですから、続編を期待しましょう。そして語られた作品の演奏を待ちましょう。