旅のない

上田岳弘

1650円(税込)

生きることの噛みあわなさに嘆く

角幡唯介

著者の出世作は『サスペンス映画史』(みすず書房)だった。同書は、世間で既に「サスペンス映画」として認知された作品群を論じたものではなく、「サスペンス(宙吊り)」に「不自由の体験」を見出した上で、「不自由の体験」の組織化という観点から映画史全体を書き直す試みだった。その際、著者はまた、脱線を許されず、敷かれたレール上をひたすら進む他ないという「不自由の体験」が、書物にも当てはまるだろうことを仄めかしてもいた。
「自分の身体を実験台にして」書いたとされる本書で、著者自身である「私」の周囲に幾つもの「不自由の体験」が積極的に組織されることになるのは、したがって、必然だ。序盤では、「LA(ロサンゼルス)」での「生活」全般において「いろいろと日本の習慣が通じないことを痛感させられ」る様子が描かれる。「おいしいもの探し」が開始される中盤では、ジョナサン・ゴールドの著作など、様々な「食べたくなる本」(著者の「料理本批評」書〔みすず書房〕のタイトル)に導かれるかたちで「料理屋を巡礼する日々」が語られる。「私」の勤務する大学の「在外長期研究休暇制度」を利用したLA滞在が終わって「帰国」する終盤では、「日本の日常のあらゆるディテイルに、違和感と驚きとを覚えた」ことが綴られる。この最後の点は、著者の「サスペンス」論に従えば、「不自由の体験」それ自体ではなく、その効果として理解することも可能だ。「不自由の体験」を強いる「スペース」での滞在は、「日常」そのものに対する知覚も根底的に変容させてしまうというのが、三浦の議論だった。
 しかし、「私」及びそれに連座させられる我々読者に「不自由の体験」を本書全体を通じて突きつけ続ける最たる装置は、やはり、「私たち家族」なる主体の存在だろう。「まえがき」では、本書で語られるのは、「二〇一九年四月から二〇二〇年三月までの一年間」の「LA」での「生活」、とりわけ「食経験」を通して「私たち家族」が「別人になる」あるいは「生まれ変わる」物語だと予告される。そして、LA到着から始まる第一章では、その「私たち家族」は「私」、「妻」、「五歳になったばかりの娘・春香」、「二歳半になる息子・秋良」から成ることが示される。本書の主人公は「私たち家族」であることが宣言されるわけだ。しかし、そうであるにもかかわらず、著者の筆は、章が進むにつれて、「私」が「体験して考えた」ことへと集中してゆき、「妻」も「春香」も「秋良」も行外に弾き出されていってしまう。こうして、本書では、主人公であるはずの存在について何も知ることができないという「不自由の体験」が組織される。「私」が「USC(南カリフォルニア大学)」で「映画と牛の関係について」の講演をしている間、「私たち家族」の他の構成員はどう過ごし、何を食べていたのか。講演に専念する「私」にも、その再録全文を読まされる我々にも、まったくわからない。
 だからこそ、本書終盤での彼らの再登場はサプライズを伴うものとなる。LA滞在の「最後の数週間」を描く頁では、「テレビのNBAチャンネルをつけてレイカーズ戦かクリッパーズ戦を観賞しつつ、近所の行きつけの良心的なメキシコ食堂〔…〕からテイクアウトしてきたカルニータス・タコ〔…〕とビールを満喫」することが、「妻」にとって、「気兼ねなくリラックスする」と呼び得る行為の一つになっていたことが明かされる。いつどのように彼女は「大のレイカーズ・ファンになっ」たのか、カルニータス・タコと出会ったのか、NBAテレビ観戦とタコとビールとを組み合わせるに至ったのか。本書を織り成す文字の外で、「妻」は「別人になる」過程を独自に辿っていたのであり、その結果だけがこうして文字内に突如として与えられるのだ。
「春香」についても同じだ。第一章冒頭では、「成田から北京経由で十数時間のフライトを終えて」LAに到着した夜に「春香」が「空港内にあるセブン−イレブンの菓子パン」を口にした際の様子が次のように説明される。「春香は、菓子パンを一口かじるなり、まずい、と言ってそれ以上食べようとしない」。これに対して、最終章では、「栄養」や「食育」の観点から「望ましい食品」を彼女に食べさせようとした際の彼女の反応が次のように描写される。「すこしでも異物感があると、とたんに警戒心で身をこわばらせ、「ヤック!(おえー)」と言って、吐き出す。/ケチャップはそこで娘にとって頼みの綱というか、わけのわからない食べ物の異物感を中和し、喉を通るようにしてくれる何かであるようだった」。「まずい」から「ヤック!」へ。「それ以上食べようとしな」かったことから、「ケチャップ」によって「異物感を中和」させることへ。「春香」もまた「別人にな」っている。「私」について書き連ねられる文字列に我々の目が縛り付けられていたその最中に、「私」と我々の視界の外で、彼女もまた、独自に「LA」を生き、いつの間にか「生まれ変わ」っていたのだ。
 最も謎めいた存在は「秋良」だ。「セブン−イレブンの菓子パン」の件には、彼もそれを拒んだとの記述があるが、それ以後、彼については、「別人になる」過程はおろか、その結果すら語られない。しかし、「LA」の「魔法のような」「力」によって自己を「再発明」したのはあくまでも「私たち家族」だとされる以上、「秋良」もまた、その「身体」に何らかの新たな「襞」を「折り畳」んだに違いない。成長した彼が何かを「おいしい」と感じたとき、そこで「輝き出」しているのは彼自身の「LAフード」かもしれない。文字の外で、しかし、彼もまた、確かに「LA」を生きた。だからこそ、本書は「春香」と「秋良」に宛てられた次の一文で締め括られるのだ。「やがてこの本を読み、君たちがどんな場所にいたかを知る日が来たらとてもうれしい」。
(講談社刊・税込定価一八七〇円)

 今、私たちが現実に生きているあいだにながれる外側の時間、そして生きていることをリアルに感じさせてくれる、内側からくるたしかな手触り。この両者が、最近はいよいよ嚙みあわなくなってきたな、と感じる。

 この嚙みあわなさは、いったいどこから来るのだろう?

 年齢的なものが、ひとつにはあるのかもしれない。つまり、私個人の経験の蓄積と時代の価値観が、齟齬をきたしているのではないか。

 自分が築き上げてきた価値観にしばられる四十五歳の中年男―─。ひとまず私は自分のことを、簡潔にこのように定義してみる。

 学生時代から、やれ登山だ、やれ探検だといって、そればかりやって、もう三十年近くになる。そこに、生きることの赤裸々な経験が、あるいは人間の生き方の原型みたいなものが存在すると信じているからこそつづけてきたわけだが、でも最近は、リスクのあることをするだけで吊るしあげられそうだし、そのへんで野営したり焚き火をしただけでも怒られそうである。北極で継続している犬橇も日本でやるのはむずかしそうだ。犬橇では十数頭の犬が走行中にぼろぼろウンコをして、拾っている暇などない。そんなもの、今の日本ではちょっと存在することすら許されないだろう。

 昔はそんなことはなかった。もっと自由だった、と思う自分がいる。つまらん時代だ、と毒づく自分がいる。実際に、そんな時代にたいする悪口をツイッターでつぶやくこともある。

 そんな中年男である私が、この短編集を読む。すると同じような中年男が、同じような悪口を吐いており、ハッとする。

〈僕はすべてを馬鹿にしている。どうだっていいと思っている。安穏とこの世にあることが不快で、何の批評性もなくただ生きている人間を馬鹿だと思っているし、不快に思っている。……どす黒くて、退けることができないからからに干からびた石ころみたいなもの。それを僕は誰かと共有したくて悪口を言う。……ねえ、こんな男と誰が一緒に生きていける?〉(「悪口」)

 この独白に私は赤線を引いた。自分もやりたいことをやり尽くした先に残るのは、この〈からからに干からびた石ころ〉なのではないか? 〈干からびた石ころ〉は、私が生きてきた足跡そのものだから、それを退けることはできないのだが、でもこれをかかえているかぎり、誰も私と一緒に生きてはくれない、というのである。

 おそろしい話だなと思うが、でもふと思い返してみると、最近、妻子に、北極探検ができなくなったあとの方向性を披露したときに、ついていけない、みたいな反応がかえってきて寂しい思いをすることがある。言葉が身に沁みるのである。

 では……ということで〈干からびた石ころ〉を路傍に捨て、外側にながれる時間に身を投じてみたとしても、生きることの嚙みあわなさは増すばかりだろう。

 外側に流れる時間。これを、きれいで美しいことを言うこと、私事より公益に資すること、無駄なく物事を効率的に押し進めること、そういったことに価値を見出す最近の世相のことだとする。今、人々は、総じて、それ以外の余計なことを言ったりやってりして足を引っ張られることを極端に避けようとする。〈安穏とこの世にあること〉をよしとし、〈何の批評性もなくただ生きている〉だけで〈干からびた石ころ〉をかかえていないから、とくに自覚することもなく「こういう時代だから……」という言葉とともに、外側に自分をあわせようとする。だが、人間なんて結局、正も邪も内側にかかえこんだ矛盾した存在である。矛盾する自分を、外側の論理的な正しさに完全にあわせようとしても、どこかにズレが生じ、やはり嚙みあわない。

「ボーイズ」の「僕」となつみは、外側にあわせることを生き方の指針にしてきた。〈人生は生活の集積であり、重要なのは生活スタイルだ〉。仕事にもとめるのは生活レベルを維持するための条件であり、論理的に、効率よくやることが重要だ。〈先に形さえ作ってしまって、やるしかない状況に追い込めば、大抵は何とでもなる〉となつみは豪語する。だから子供も、生活スタイルにあわせて作る/作らないを決めればいいと考えていた。

 しかし子供は計画的に作るものではなく、おのずとできるものである。あるとき、なつみはこれまでの人生哲学をひっくりかえし、子供を作りたいとうちあける。生活スタイル云々ゆえではなく、〈ただ子供について考えるとなにか体内で熱のようなものが生まれ、それは無視することができないほどに確固としてあって目を逸らすことができない〉からだ。でも、子供はできなかった。

 人々にはそれぞれ生きるリズムがあり、それが「私」という人間の固有性をかたちづくってゆく。なつみが最後まで避けたかった、「精緻なシミュレーション」の向こう側にある偶然により、それは象られてゆく。偶然に翻弄され、きづくと出来あがっていくもの。その意味で、生きることは予定調和ではなく、本質的に不条理だ。

 旅が人生に擬せられるのも、それが偶然に身をさらす時間のつらなりだからである。旅をして、それまでの自分が固執していたスタイルからはなれ、異質な何かに触れたときに、「私」の内実は変質し、新しい自分ができあがってゆく。それをくりかえして、「私」は「私」になってゆく。

〈普段の自分、なぜか目を背けられない記憶や思念。気が付けばそのことについて堂々巡りの考えを続けてしまう。その不愉快な違和感も含んだ普段の自分から離れて、ずっと遠くに行く。普段の自分から抜け出た気持ちになる。……一時しのぎにしかならなくて、でも漆を重ねて塗るみたいに、少しずつ変わっていく。矛盾するようですが、根本は変わらないということを知って、自分というものが少し厚みを増す〉(「旅のない」)

 四十五歳になって「私」が「私」になってしまった今の私は、この言葉に同意する。そしてそれが〈干からびた石ころ〉にすぎないことにも同意する。