完全犯罪の恋   田中慎弥
青春と文学と信仰と   評者:紗倉まな

 私は学生の頃、小説を読むことも図書室に入り浸ることもなかったし、休憩時間中、友達と明るく語り合うこともなかった。じゃあ何をしていたのかというと、教室の中の、あちこちを見ていた。帰国子女の友人の、本当に読んでいるのか、ただその場をやり過ごすための道具として使っていたのかも分からない、英語版『ハリー・ポッター』の圧倒的な分厚さを、じっと眺めたりしているだけだった。  だから、図書館の貸し出しカードを通じて相手に思いを馳せる『耳をすませば』のような青春からはほど遠く、小説を好んで読み始めるようになったのも、随分後のこと。学校の図書室は、私の中で、存在し得ない青春として、憧れの舞台だったりする。そして文学も、同じだ。  文学の世界は誰に向かっても寄り添ってくれる、寛容で開放的な空間である。だけれど、「これ、貴方にしか話してないのよ」と囁かれているような特別な気持ちにさせられることもある。自分だけがこの作品の良さを分かっているのだ、と独占的な心地よさに勝手に溺れる、その瞬間が私は好きだ。どれだけ作品を読み込んだのか、理解できたのか。作者に近い存在になれたのか。そんな風に作者へ、作品へ、思いの熱量が膨らんでいくと、そもそも競うものではないのに、読書を通じて得られた収穫を他人と比較してみたり、優劣をつける心情まで生まれ始めたりもする。  もしかしたら好きなものに対しては、とりわけ本を媒介にして築いた関係性というのは、純粋な気持ちを保ちにくく、常に歪んで迫ってくることもあるのかもしれない。 『完全犯罪の恋』はまさに、そんな〝一筋縄ではいかない文学〟が信仰となった、清らかな恋愛作品だ。それでいて、私が手に入れたかった、求めていた青春そのものだった。  三十を過ぎて作家になった田中は、新宿のデパートにある休憩スペースで、編集者に原稿を渡すまでの時間を潰している間に、若い女と出会う。それはかつて交際していた女性・緑の娘、静だった。  静に母(緑)のことを問われ、田中の青春の回想が、高校二年生の教室から始まる。田中が読むことを諦めていた難しい本を、平然と読んでいた緑。田中はそんな彼女に敗北を感じながらも、強烈に惹かれてしまう。憧れの気持ちはいつの間にか恋心へと転化し、二人で文学の世界に傾倒しながら距離を縮めていたのだが、ある日、田中にとっては憎き存在、「あいつ」が現れる。  田中にとっての文学とは、誰とも語らない特別な世界だった。そこに突如現れた緑という存在は、さらに特別であった。しかし緑には、田中以外にも本について語れる存在がいる(それが「あいつ」である)。田中はもちろん、気に入らない。田中、緑、「あいつ」という三者の間には、本を愛することで神聖化されたそれぞれの関係があるのだが、田中の心はうまく着地する場所を見つけられない。恋に酔い、圧倒的な存在の緑との時間に酔い、そんな自分にも酔いしれる。田中は気に入った作家や緑に対しても、「なんとなく好き」という、朧げな、頼りのない言葉しか吐けないままでいる。  その後、とある出来事が起きて緑との関係に亀裂が入り、自己愛と狂気に満ちた〝とある策〟を思いつくのだが、恋に文学という信仰までもが入り交じり、厄介な展開となる。この部分がまた本書の醍醐味であって、あまりにも面白く、興奮して暫くの間、檻の中に閉じ込められた熊みたいに家の中を歩き回ってしまった。  静は「母は(田中と「あいつ」の)どちらが好きだったのか」という疑問を抱きながら、田中に接近する。静にとって田中は「もしかしたら父親だったかもしれない人間」であり、「父親未遂の人」でもあった。知ることに何の意味があるのか、一瞬不思議に思う人もいるかもしれないが、その実、とても大切な使命を含んでいると思う。  私にも、静のこうした興味というのは元来、染みついているような気がする。自分は、母が誰を思って生まれた人間なのだろうか、科学的に調べることのできない、形のない父親を突き止めたい、そんな果てのない思いだ。血の繫がった父親だけが、父親ではない。胎内で繫がっているときに、臍の緒を通じ、母を揺るがせたさまざまな人が自分に流れ込んできているのでは、と考えていたこともあった。  母が好きな人を知ることは、自分の存在意義を確かめることでもある。だからこそこの物語は、母のかつて好きだった人を訪ね、母の生き方を尋ねることで、母娘二人の人生を辿っているようだ。  私が本書の中で一番好きだったのは、田中と静の会話のやり取りだった。静は、田中の一挙手一投足にマウントを取りながら畳みかけていくのだが、その姿勢は決して穏やかなものではなく、でも軽妙で、すごく面白い。  静は、自身に向けられた「若い女」という田中の意識を、徹底的に暴き出し、常に成敗しなければ気が済まない。そんな静自身にも、常に矛盾が生じている。自分が受けてきた偏見をもとに、静自身もまた、田中を「男性・作家」という狭い枠の中でしか語らず、偏見を軸にした言葉でもって殴り続ける。それでも、二人の会話は「女のくせに」「男のくせに」という醜い掛け合いになることはなく、終始、互いをどこか見下ろしながらも尊重し、歩み寄らないまま、前に進んでいく。なんというか、男女の新しい形なのだ。  好きという気持ちにはもともと勘違いが多く内包されるものだけれど、田中と静の、年齢と温度の離れた関係性は、読んでいて常に、心地よい気持ちと憧憬の念を抱いてしまうものだった。  田中慎弥さんの作品はいつも、その筆力に圧倒され、脳裏に描写がこびりついたまま剝がれず、興奮して眠れなくなる。今回も、すごかった。  私はこの先も、何度も自分の血を辿るようにこの作品を読み返すと思う。そうしてあの図書室の青春を、文学の中で取り戻したいと思う。
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