いのち   瀬戸内寂聴
一枚の「写真」のように   評者:高橋源一郎

 長い間、誤解をしていた一枚の「写真」がある。  それは、わたしの父と母が一緒に写っている写真だ。目を閉じれば、はっきりと浮かんでくる。左側に父、右側に母。父は白いシャツを両肘までまくり上げ、母親は白い割烹着姿で、まだ若かったふたりは、並んでこちらを向き、笑っている。ほんとうに楽しそうに。その向こうには、黄色い菜の花畑が広がっていた。  父と母はずっと仲が悪かった。だから、わたしは、この、一瞬の奇跡のような光景をおさめた写真を大切に覚えていた。そして、何度か、この写真について書いた。  数年前、弟から電話があった。弟とは、年に一度ほど電話をし、その都度、四方山話をする。それだけだった。 「ところで、兄ちゃん」 「なに?」 「兄ちゃんが、時々書いてる、親父とお袋の写真のことやけど。あれ、なに?」 「いや、ふたりの写真だよ」 「そんなの、どこにあるの?」 「おまえに預けてるアルバムに貼ってあるだろ」  高橋家の写真は、すべて一冊の、古い大きなアルバムにおさめられて、弟の手元にある。そのアルバムにそんな写真はない、というのだ。 「だいたい、カラー写真なんか一枚もないで」  そんな写真はなかったのだ。では、わたしの記憶の中にある「あの写真」は何だったのだろう。しばらく、わたしは考えつづけた。そして、いま、わたしは、「あの写真」の正体について、こう考えている。わたしが記憶しているのは、写真ではなく、実際に、幼いわたしが見た光景なのだろう。確かに、「あの写真」のふたりは、こちらを見下ろす位置にいたように思う。喧嘩が絶えなかったふたりが、あの瞬間だけは、奇跡のように優しく、笑いながら、子どものわたしを見つめていた。それがほんとうに嬉しくて、わたしは、その一瞬を、写真のように切り取り、わたしの記憶の中のアルバムに描きこんだのだ。そして、いつしか、それを、ほんものの写真と思いこむようになったのだろう。  わたしは、瀬戸内寂聴さんの『いのち』を読みながら、わたしにとって忘れることができない、「あの写真」のことを思い出していた。 『いのち』の、主な登場人物は、著者が、その生涯において関わってきた、そして、もう、この世界からは旅立ってしまった、たくさんの死者たちだ。  九十八歳まで「美しいまま生きのび」た宇野千代、「(ガンの)宣告の時、医者が何と言ったと思います? 高見順さんと同じです、って!」と言った江國滋、腸のガンに冒され、手術のあと、「俺の腸を食いやがった不埒なガンめ! 焼鳥にして食ってやる! 切った奴をここへ持って来い!」と叫んだ今東光、ガンになったとき、死にたくないと懊悩し、「いやだよ、まだ六十代なんだよ、せめて七十代で死ぬならあきらめがつくかもしれないけれど、今、死ぬのは厭だ! どんなことしても生きたい! 仕事をもっとしたい!」と呻いたある男、九十四歳で亡くなる前、最後の長い対談で、「死は、先生にとって何でしょうか」と訊ねる著者に、「無!」と答えた里見弴。  その死者たちの多くは、著者の同志ともいえる作家たちで、鮮明な記憶の断片となって、著者の脳裏によみがえる。けれど、その中にあってもっとも多く、特権的な場所を与えられるのは、戦友ともいえる、ふたりの女性作家、河野多惠子と大庭みな子だ。 『いのち』の中で描かれる、河野多惠子と大庭みな子は(そして、彼女たちを語るとき、忘れることができない「分身」ともいえる、夫たちも)、もし、いつか、この時代の文学史が書かれ、そこで「公式」に描かれることになるだろう、彼女たちの姿とは異なったものだ。わたしたちの目の前に出現するのは、あまりにも生々しい、人間の行いと言葉だからだ。  そう、確かに、彼女たちはもう死んでしまった。彼女たちだけではない。筆者が描くのは死者たちだ。けれども、どうして、『いのち』の中の死者たちは、生きている人間のように生々しいのだろうか。いや、もしかしたら、生きている人間よりも生々しく感じられてしまうのは、なぜなのだろうか。  生者よりも生きているように思える死者たち。これが、『いのち』の秘密であるように、わたしには思えた。『いのち』の中の死者たちの姿は、わたしの記憶の中にあった「あの写真」の両親と同じだ。「あの写真」は、カメラのレンズによって「ただ」写されたのではない。ある決定的な瞬間、決定的な場所で、もっとも深い感情によって、写しとられたのである。  そのときから、その瞬間から、彼ら・彼女たちは、著者の中で永遠に生きる者となった。それを読むとき、どうして、わたしたちは、震えるような感動を味わうのだろうか。それは、著者の個人的な思い出に過ぎないのかもしれないのに。  ちがうのである。  わたしの中で、わたしの両親は、生きつづけている。けれども、わたしが死ぬとき、彼らもまた、ほんとうに死ぬであろう。だが、わたしが、その記憶をことばにするとき、彼らはよみがえる。どこかのだれかが、それを読み、一度も会ったことのない、わたしの両親のことを、ほんの少し考える。その瞬間、彼らは、陽炎のようによみがえるのだ。 『いのち』の中で、死者たちもまた、復活の瞬間を夢見ている。いや、そもそも、生命とは、いのちとは、そういうものではなかったろうか。  人は、生物としては、死ぬのである。けれども、ことばを持つ者としては、生きつづける。そのことを証明するために、そのことを読者に告げるために、『いのち』は書かれたのである。
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本物の読書家   乗代雄介
「にもかかわらず」の挑戦   評者:大澤 聡

 二葉亭四迷が「予が半生の懺悔」と題した談話を発表したのは一九〇八年六月のことだ。同月、二葉亭は新聞社の特派員として念願のロシアにむけて出航する。が、入国直後から体調すぐれず、一九〇九年五月に死没。談話はまるでこの結末を予期していたかのように、饒舌な自己総括に仕上がっている(案の定、後世の二葉亭四迷像をつよく拘束することにもなった)。キーワードは「ヂレンマ」だ。何かをなそうとすれば、たちまち「実際的と理想的との衝突」に直面してしまう。それをやりすごす欺瞞と格闘し続ける半生だった。その苦悩を二葉亭は理路整然と告白する。  かならずこれとペアで参照されるのが、その数ヵ月前の談話「私は懐疑派だ」である。「どんなに技倆が優れてゐたからつて、真実の事は書ける筈がないよ。よし自分の頭には解つてゐても、それを口にし文にする時にはどうしても間違つて来る」。この「真実」と「小説」のあいだの解消されえぬ懸隔に正直なあまり(「正直」も彼のキーワードだ)、二葉亭は『浮雲』を発表したのち沈黙する。およそ二〇年後に出た『其面影』『平凡』は周囲に引っぱり出されてしぶしぶの復活だった。〝日本近代小説の始祖〟と位置づけられる二葉亭が出発早々ぶちあたったこの陥穽に私たちは何度でも立ち戻ってみるべきなんだろう。小説が成立するとすれば、二葉亭のあの自縄自縛の問いを介してのみである。  じつは、本書所収の「未熟な同感者」には、いま引用した二葉亭談話のすぐあとの箇所が引用されている。それ以外にもフローベールやサリンジャー、柄谷行人、夏目漱石、カフカ、ナボコフといった文学者たちの「書くこと」をめぐる言説群が大量に動員され、ほとんど一点を囲繞するかたちで小説論がぐるぐるぐるぐるスパイラル状に組織されてゆく。すなわち、「完全な同感者」(宮沢賢治)はわざわざ言葉を必要とせず、書くのは「未熟な同感者」にすぎないという一点を。それでも「完全」をめざして書き続けるその只中にのみ書く者の真実はある。そんなロマン主義的な投企としてこの小説は読者に差出される。 「私」が回想しつつ書き綴るゼミ内の狭い人間関係ほかあれこれの進展と地続きに、しかしそれとわかるよう太字で、ゼミの教員の講義ノートがかなりのスペースを割いて間歇的に引き写されるというシャッフル構成になっているのだけれど、小説論は基本的に後者にあてがわれる。物語パートと講義パートは一見無関連に隣接していながら、冒頭で「私の思い出話[…]は、この太字にずいぶん脂を吸い取られている」と予告されるとおり、遠近軽重問わず多層的な連絡関係を配備する。それゆえ「私」の語りは、「右のように肥大した文字列」「このまとまった文章」「書き連ねるつもり」といった直示的なものから、微に入り細に入り暗示的なものまで、自己言及に満ちた饒舌なそれになる。  たとえば。講義パートで、「人間としての体験」と「作家としての体験」が両立しない(前者こそが書かれうる)というヴァルザーの認識を解説したのち、それと同型の『平凡』末尾を引くくだりがあるのだけど、そこには次のような物語パートが後接される。「私」は同じゼミ生の間村季那と週二回(英語と第二外国語のあと)、二人きりの雑談の機会をもつ。ある日、季那がこんな話をしてくれる。二年間ほど双子の女子に二教科の家庭教師をしてきたのだが、引越しの関係で、二日前が最後の授業となった。二つ並んだカラの机、姉は鉛筆をもう段ボールにしまっており、妹が貸す……文字にしてしまえばなんということのないエピソードなのだけれど、ほかならぬそのことによって、ヴァルザーや二葉亭の理念を饒舌に体現する。そして、周到に「二」を一所に搔き集め(二葉亭!)、この小説を貫く構成原理を浮びあがらせるのだ。 「未熟な同感者」が「書くこと」をめぐる饒舌ぶりを示すのに対して、「二」的に本書に同梱された表題作「本物の読書家」は「読むこと」をめぐって饒舌ぶりを発揮する。 「わたし」と大叔父と偶然乗り合せた田上、男三人の電車内での会話というミニマルな設定で進行するのだが、およそ一章おきに物語をポーズしては、出来事を「記録」する語り手=「わたし」の読書(家)論が挿入される。そこでも大量の言説がパッチワークされ、作品全体の思弁性を高める(固有名の多くは「未熟な同感者」と共有される)。議論は終盤の次の一節に収斂してゆくだろう。「﹁事実は小説より奇なり﹂だとするならば、その事実の構成員に本物の読書家は含まれない[…]。本物の読書家は事実の中に棲まうことを拒否する」。ここにいう「本物の読書家」は、「未熟な同感者」でいう、真実に到達しえぬことをあらかじめ知っているにもかかわらず書き続けてしまう者と表裏にある。  著者のデビュー作「十七八より」│叔母の死を「未熟な同感者」と共有│に対しては、好意的であれ否定的であれ、微調整に微調整を上塗りした文体の過剰な自意識に特化した評言が並んだ。けれど、受賞第一作「本物の読書家」はその文体を維持しつつも、物語の展開へもちゃんと読者の目がむかうような仕掛けを随所に施してある。大叔父の手元に川端康成からの手紙が存在するのではないかという噂の真偽の解明がその最大のもので、ミステリ仕立ての構成はエンタメとしても十分に通用するはずだ。  じつをいうと、本書は二作ともに、ペダンチズムを芸として押しとおすには引用元のセレクションが微妙(ベタ)なんじゃないか、小説空間の自律性をめぐるメッセージがあまりに言語化されすぎてないか、と判断を留保しながら読み進めた。にもかかわらず確実に最後まで頁をめくらされたのは、やっぱり「本物」だからなのだろう。書物の引用で構築される教養主義的な世界認識、文学(偽)史を備給点とした純文/エンタメの境界壊乱、饒舌体を梃子にした前衛的な言語実験。どれをとっても古そうでいて、それゆえにかえって新たな可能性をひめている。きっとシーンを組み替える力になる。
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鳥獣戯画   磯﨑憲一郎
「小説」は何か   評者:金井美恵子

ひとは書くように読み、 読むように書く。 秋山基夫『文学史の人々』  イタリアの伯爵夫人でもないし若くもない読者としては、読んでいる小説(それも、一日のうち朝、昼、晩で読む小説や詩集や本や雑誌や新聞が異なるのだ)がスタンダールのものではないのだから、当然、それが時代を映す鏡などとは思わないし、もちろん、徹夜などしてまで読むことはないし、「注意力散漫」という小学校の時の通信簿(通知簿とも言っていたような気がする)に書かれた妙な言葉をつい思い出してしまうのだが、一冊の本は、たとえそれがどういった分類に属するものであれ、読者の集中力よりは記憶の拡散をもたらさずにはおかないし、まして、今私が、「書評」という小さな枠組の中で書こうとしている(と言うことは、ある意味で読みつつある)磯﨑憲一郎の小説は、既視感と既読感を呼びおこさずにはおかない。そもそも、かつて読んだことがあるという、はっきりとした感覚と、どこかで読んだはずだという曖昧な記憶を、甘美な共感であるか、苛立ちやもどかしさや、目まいのするむず痒さであるかはともかく、そうやって揺動かされることのない読書など、大した意味はないのだ。  とは言え、むろん、読書(それも、たかだか小説の?)によって揺動かされるものなど、たかが知れてはいないか。  前作の『電車道』にも、ほとんど個性というほどのものを感じさせないのだが、「美人」であることが重要な要素である女性として「女優」が登場していたのだったが、『鳥獣戯画』にも、時を隔てて「赤の他人の瓜二つ」なのか、そっくりな容姿(頭の後ろで髪を束ねているので、より強調される「卵形の顔」、「細く長い手足」のすらりとした長身、大きくて「目尻だけがかすかに吊り上がっ」た眼、「肉感的な桃色の唇」)を持つ「女優」は、生れた時代のせいで出演した映画のタイプこそ違え(一方は、血を吸う巨大蛭の怪物の登場する珍品SF・ホラー、一方は低予算の「一風変わっているといえば変わっている」、まあ、アート系と言えそうな、多分、普通に凡庸な野心作)、「美人」と「女優」という言葉によって、二つの瓜であることが、「読者」に告げられる。私はたまたまつい先日再見することになったバスター・キートンの最晩年作、トロッコでカナダの大陸横断鉄道をひたすら走りつづけて東海岸から西海岸に到達してしまう『レール・ロッダー』を見て、線路とはまさしく映画フイルムのことなのだと思ったばかりなので、磯﨑憲一郎の『電車道』に映画が登場することも当然なのだと思いあたるのだった。『鳥獣戯画』の主な語り手である二十八年働いた会社を辞めた芥川賞作家(ノーベル賞でももらわないかぎり、新聞の訃報欄に書かれるまでつきまとう肩書きであり一方、確実かつ大事な数字のはずの会社員生活の年数を、「私」は「一年数え間違えている!」のだが)と京都を旅することになる女優が、石水院の主室のガラスケース入り明恵上人遺愛の木彫りの子犬を見ていた時、「私」は「紺と白の縞のセーターの肩が弱い光を発したような気」がし、彼女は「その光を肩からもぎ取り」、手のひらに乗せて「私」に見せる。 「タマムシ! この七色に輝く昆虫が実在することを、私は二十八年もの長い間忘れてしまっていた!」  私(今、これを書いている私である)は、この何週間か並行して読んでいた別の小説と詩集と随筆の中で、鮮烈な狂気のように美女とタマムシが登場したはずなのに、それが誰の文章の中だったのか、咄嗟に思い出せずに、ぼんやりしたイメージと言葉がまじりあう。たまたま必要もあって並行して読んでいた泉鏡花の文章の中にあったのだ。美しい二人の夫人の持つ涼傘の中に飛びこんできて「それはそれは気味の悪いほど美しい」と驚嘆させ、それを直接見たわけではなく、見たことを告げる女たちの言葉をもとに鏡花が執拗に描写する玉虫は、描写することは可能でも、その意味をわかりやすく説明することなど出来ない「小説」に似ているかもしれない。  それでは、いくつものエピソードが、かすかなつながりと関連をほのめかしつつ、並行して語られる構成を持つこの『鳥獣戯画』という小説のエピソードの一つに、語り手(先述の芥川賞作家と、この語り手は同一ではない)が美人の女優について「不思議なのはそういう多忙さの中でも、彼女が規則的な生活と一人だけの時間を守り続けられたことだ」と書き、その規則的な生活の情景として「夜は自室で小説を読んだり、CDを聴いたりして過ごした」とあるのだが、彼女が読んだ「小説」は何か?  女優と「私」の出あいは、高校時代の女友達と再会すべく待ちあわせた喫茶店で、彼女が「先日のテレビ番組、拝見しました」と唐突ななれなれしさで話しかけるという夢の速度の僥倖のようにはじまるとは言っても、彼女が自室で読んでいた「小説」が「私」の書いたものかどうかはわからない。  いつもの習慣で土曜の朝刊を開くと、売れない芸人だった頃、吉祥寺の電気のブレーカーがすぐに落ちる狭い寒い貧しい部屋で毛布にくるまり、かじかむ指で「小説」のページをめくった、と(芥川賞作家・お笑い芸人)と末尾に記された文章が載っていたのだったが、このかじかんだ指でページをめくられた「小説」が何かについては、私たち読者は、おそらく、あれ、というイメージを持つことが出来るのだが、しかし、『鳥獣戯画』の女優が、「読んだりする」小説は、それは「何」なのか、という奇妙な違和感を引きおこすので、この小説の読者である私は、つい、たとえば『赤の他人の瓜二つ』の、「妹」の書いた「活字になった自分の小説」、「まるで見ず知らずの他人が書いたかのように面白」い「小説」について書かれた部分から『赤の他人の瓜二つ』という小説を読みかえしてしまうことになる。
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